1

 ホテルに着くなりあわてて便所に駆け込み、下痢をした。
 精神的に参っているのだろう。気温と臭いはテレビから伝わらないことを痛切に感じた。こんなところに来るんじゃなかったと後悔しはじめていた。
 晩飯をすることになり街にでて大衆食堂に入った。薄暗い店内には十人ぐらいの客がいた。

円形の木のテーブルの席に座ると、すぐに髭面のオッサンが金属ポットに入った水を持ってきて、
「ノーイーティング」

と強く言って私たちを睨みつけた。ラマダンというイスラム教の習慣で、信者は日没まで食事ができない。しかたなく三十分ぐらい待って食事にありついたが尻に滲みる辛いカレーだった。水をかなり飲み干してから、店を出た。酒は飲めない国なのに、街は既に喧騒ですべての人が暴走族に見えた。

ホテルに帰る途中に、腰の辺りまで髪を伸ばした妖しい男性から、

「自分ら日本人やろ」と声をかけられた。

ヒデオというバックパッカーとの出会いだった。ヤマダもミヤタも私も旅先に不安を感じていたせいか、積極的に話をはじめ、部屋に招いてしまうことになった。

日本から持ち込んだウイスキーを紙コップに注いでみんなで飲み初めた。

「こんな上等な酒なんて久しぶりやで」

と言ってヒデオの表情はゆるやかに変化していった。

彼はどういう経路でカラチにたどり着いたかをゆっくりと話しだした。四年前に遡る。

沖縄に行き六ヶ月間アルバイトをした後に、香港、そこからフランスに行きヨーロッパ各国を廻っていたそうで、さらに二年前にはインドに二年間も住んでいたらしい。

今回はフランスからモロッコに行き、アフリカ大陸を横断するルートでケニアに着いた時に金を盗まれ、仕方なしに日本に帰ることになったという。

「今は途中下車みたいなもんや」

とニッと笑った。

「俺らみたいな旅行者はとにかくなめられんねん。甘い顔したらあかんデ。隙を与えたら絶対あかんデ。俺かてほんまやったらフランスに帰る予定やったんやから」

ヒデオの全身から醸し出している迫力に圧倒されていた。

ヒデオはGパンのポケットから銀紙に包まれた塊を取り出し、テーブルに広げてあっという間に大麻タバコを作った。手練の早業だ。

「ここやしできるんやで」

と言いながらマッチで火をつけ、深く吸い込んだ。

目が空ろに優しく変化した。全員で回し飲みをはじめ、無くなればしばらく飲めなくなる貴重なウイスキーも飲み始めた。

ヒデオの眼差しは天国を見ているかのように天井に向いたままになり、ミヤタは笑い転げ、ヤマダは無表情で踊りだした。

私は時間の感覚が麻痺していった。時計を見ると午前三時を過ぎていた。外からは鳴り止まない轟音が響いていた。

疲れる街だ。

 

                             2

 翌朝、目的の花の都ペシャワールに行くためにカラチの鉄道の駅に向かった。

ヒデオもしばらく同行したいと言ってきた。ありがたい、心強いと思った。

その時既に私ならではの不安がよぎっていた。いつものように止むことのない便意が襲ってきていた。緊張や興奮によってすぐに便意が襲ってくる。

もう既に二回もしていて、三回目はここの習慣でしてみた。容器に水を入れて右手でお尻に注いで左手で肛門を洗う方法だ。

試してみると、これは紙で拭くよりもずっと衛生的に思えた。感触から、左側の肛門がもっこりと腫れたいるのがわかったのが辛かった。

痔はしばらく治まっていたのにこんな異国で爆発したらどうしようかと不安でいっぱいになった。

十九時発の列車に乗るべくジェットコースターのようなオートリキシャに乗って駅に向かった。

駅は既に人々で溢れていた。

「三等車にしよな」

ヒデオが訥々と言った。値段が五分の一で済むからだ。

赤帽に席を確保してもらい座席につく。背もたれが異常に高い。ここに三十八時間も座らなくてはならないと思うとお尻が妙に痛くなり汗が噴出してきた。

鈍行列車は亀のようにゆっくりゆっくりと進んでいく。駅に停車するたびに、窓越しに人垣ができた。

まるで、パンダでも観るような好奇に満ち溢れた目で睨んできた。

「そんなことで気疲れしてたら話にならへんで」

とヒデオが冷ややかに言った。

列車内は時間に比例して異常に暑くなってきた。

汗が止めどなく吹き出し、全身がずぶ濡れ状態になった。駅に止まる度に妖しい色をした清涼飲料水をがぶがぶ飲んだ。空腹感も麻痺しはじめた。

「暑いーーー。なんなんやこの暑さは」

ヤマダが叫んだ。

「スーダンで乗った列車よりましやで」

ヒデオの言葉にヤマダがムッとした。

「屋根の上に一週間おって移動したんや」

澄ました顔で言う。憎たらしいぐらい落ちつきながら。

 寝つくまでにいったい何本の妖しい色をした清涼飲料水を飲んだのだろう。目覚めてからもひたすら飲み続けた。

昼頃から砂漠地域を走りだしていた。砂埃が車内に煙幕のような勢いで入ってきた。車窓も曇りガラスのようになった。

唯一の救いだった外気が熱風に変化した。

暑い。暑い。暑いのだ。犬のように舌を出していた。

発狂寸前だった。夕暮れ時になっても車内は異常に暑く、水分を取りすぎたヤマダと私は完全にばてていた。

ヒデオとミヤタは便所でハッシシを吸ってきている様子で、ヘラヘラと笑って楽しくてしかたがないという輩になっていた。

苦痛に満ち溢れた表情の二人と、安楽の極致みたいな表情を浮かべた二人。なんと対照的なんだろう。

その時、向かい側の席に座っていた老人が座席の上に正座してアッラーの神にお祈りを始めた。荘重なる空気が車内を支配した。

私たちが急に場違いの人間に思え、この場から逃げ出したくなった。
 真夜中になると山間部を走りだして、冷風が吹き抜けてきた。息を吹き返すとはまさにこのことだ。

窓から顔を出して風に当たった。その瞬間、

「ギャ---」

とけたたましい声で叫んだ。

「見てみいいな。これ。こおろぎや」

足元をみると数十匹いた。車内を見渡すと数百匹はいた。

「なんやこれは。たまらんなぁ」

と私はエイリアンに攻められたような気持ちになって叫んだ。

「こおろぎやったらましやがな。タイにおったときはごきぶりやったで」

 落ち着いた口調でヒデオがいった。寡黙で、冷徹で、迫力があり、隙がまったくない。彼が歴戦の勇者にみえてきた。

 

 あと三十分足らずで花の都ペシャワールに到着、拷問列車とおさらばの時がきた。

「いやいやしかし乗り応えあったね。みてよ。俺達の顔。すごいことになっているよ」

みんな砂埃をうけた影響で煤けたように黒くなっていた。ヤマダは眼鏡のせいで逆パンダのようになったいた。

ミヤタはタフな奴だ。生気に溢れた表情をしていた。私は話す気力さえなくなっていた。

早くシャワーを浴びたい。重いリュックを背負いながら、ゆっくりと花の都ペシャワールを歩いた。

カラチに比べると情緒があって、静かだった。古い街並からは品格も感じ取れた。

歩いて三十分ぐらいの所にブッキングしていた外壁が薄緑色した小奇麗なホテルがあった。

「こんなええとこに泊まるのかいな」

困惑した表情を浮かべながらヒデオがいった。

とにかく全員でホテルに入りシャワーを浴び、三十八時間の垢と埃を洗い流した。

今から自由行動となったのに、ヤマダは

「あきませんわ。どうにもこうにも体が重とうて」
 そう言うとベットに横になりだした。

私はオートリキシャでオールドタウンの散策をしに出かけた。しかし、うだるような暑さの中二十分も歩けばへろへろになった。

しかたなしに、ホテルに戻るとヤマダが死んだように寝ていた。
サウナ列車に三十八時間も乗ってやっと憧れの花の都ペシャワールに着いたというのに、男二人がベッドで休んでるのは情けなかった。

カセットでジョン・レノンを聴きだしたら知らぬ間に数時間、寝てしまった。

「いや、すごいよ。おもしろいところだよ。歴史の中っていうか、中世の時代にタイムスリップしたようだよ」

ミヤタの威勢のいい大きな声で目覚めた。かなり興奮している様子だった。延々としゃべり続けるミヤタの話を黙って頷きながら聞いていた。

「なんなのさ、二人とも。ボーとしちゃってさ。情けないなぁ」

「なんかまだ列車に乗っているような気分ですねん。しんどいですわ」

ヤマダが憔悴しきった目をこすりながら言った。

私は自分の惨めさを悟られないように、大きな声で、

「腹が減ったわ」

といった。本当はそうではなかったけれど。

しばらくしてからのっそりとヒデオが現れた。

「安うてエエかんじのホテルを見つけたわ」

いつものようにニッと笑みを浮かべていた。

 オートリキシャで十分ぐらいのところにキッサカイバルバザールという旧市街に向かった。

ラマダンが明けたせいか、そこはなにかに開放されたように活気に満ちていた。

行き交う人々が私たちに恨みでもあるかのような形相で睨んでくる。

ヤマダが私の腕を突然ひっぱってきた。

「あれ見てみいな。ア、ア、アフガンゲリラやろ」

写真でよく見た帽子をかぶった彼らが様々な武器を持ちながら闊歩していた。私のキンタマがキューと縮みあがった。

ミヤタはかっこいいと言いながらこっそりと写真を撮っていた。足早に、ヒデオのホテルに向かった。場末の映画館の裏側にそれはあった。

「ここや、ここや」

屋上からヒデオが手招きをした。映画館からの大きな音が筒抜けの薄暗い階段を五階の屋上まであがった。

三つの部屋があった。部屋というよりは物置に近かった。

「こんな部屋好きやねん」

電気はなく、オイルランプで壁はボロボロ、天井近くの壁にヤモリがじっとしていた。

こんなところでは絶対に寝れないと思った。

 夕食をすることになり、近くにあった大衆食堂に入った。

適当に注文をすると、店の奥から立派な鬚を生やした巨漢のおっさんがきて、

「ジャパニ?」

と尋ねてきた。イエスと答えると全員に握手をしてきた。

ゆっくりとした英語で話しかけてきた。戦争中に東京にいったことがあり、イギリス軍に所属していたことなど。

ヒデオの腰近くまで伸びた髪を指差しながらお前のような日本人はいなかった。お前達は本当にジャパニか。

半世紀前の話なのについこの間の出来事のように彼は興奮して言っていた。食事が運ばれてくると同時に彼は厨房に消えていった。

食べる前から、もう満腹になった気分だった。脂でギトギトした鶏肉がライスの上にのった料理で、半分ぐらいしか食べられなかった。
 お茶漬けが食べたいと思った。

 

 その後バザールを徘徊した。賑やかさと賑やかな色と武器を背負いながら歩く人々。なんともいいようのない街だ。

ミヤタがアイスクリームを食べようと言い出し、並んでらしき物を食べた。アイスクリームではなかったが、近い物だった。

氷菓子は久しぶりに体に沁みた。息を吹き返したような気分になった。

ところが一分もしないうちに下腹部に激痛が走った。胃が突き上げてムカムカしだし、心臓の鼓動がトクトクと聞こえだし、速くなっていった。

雲古が漏れそうになりだした。いったい私の体になにが起こったのか。血の気が失われていった。皆に様子を告げ急いでオートリキシャに乗ってホテルに戻った。全身から震えが襲ってきた。

部屋の便所に直行いした。

 すごい勢いでなにかを排出した。

 

             3

 二十分に一回のペースで便所に通うことになってしまった。下腹部に沈滞していた熱い痛みは消え失せたけれど、便意だけはなくならない。とても雲古には見えない透明な液体がシャワーのごとく出た。

「ウーン、アーァ、ヴゥーグ」
 とまるでエロビデオから聞こえてくるような呻き声が堪えきれずでた。便器の横にある鏡に映る我が表情をまじまじとみつめた。

悶えるな。

こんな所でなにをしてるんだ。

体温計は三十七度四分を示していた。

やばいな。

いやいや、たんなる旅の疲れだ。

そうに違いない。

明と暗の考えが絶え間なく交錯する。

八回ぐらい便所をしたころ、ヤマダとミヤタが戻ってきた。

「大丈夫ですか」

オカマ風にヤマダが尋ねてきた。体調を詳しく話した。

「心配いらないよ。誰だって水が合わないあいだはすごい下痢するんだから。外国行ったら経験するというよく聞く話じゃん。しっかりしてよ」

ミヤタのいうとおりだ。日本人は水に対してデリケートだとよくきいた。こういう体験は誰でも一度はするのかもしれない。

そう思うと気が楽になってきた。ミヤタがレゲエ音楽を鳴らしはじめた。

don't give up fight

don't give up fight

ヤマダがにわかに便所に走りだしていった。レゲエのビートの間に喘ぎ声が聞こえてきた。お尻になにか挟まったような、不可解な痛みの表情を浮かべながら出てきた。音楽が鳴り止むと静寂が部屋中占拠した。

「俺達、疲れているんだよ。病は気からっていうし今日はもう休もう」

ミヤタの言葉が空虚に響いた。

ヤマダは茫然としていた。
 この夜は、雲古で満たされたプールで泳いでいる夢をみた。

 

 まだ午前六時すぎだというのに、全身から汗が噴出し、ベッドもねっとりと湿っていて寝れなくなった。窓から差し込む強烈な朝日が、便所からふらついて出てきたヤマダの顔を照らしていた。

「起きたはったん。昨日からあきませんわ。夜中もずっと便所に通てましたんや」

ヘナヘナとヤマダはベッドの上に座りこんだ。

運がついてきたんやとつまらないシャレにもならないことを小さな声でぶつぶつと話していた。苦笑していたら、また下腹部に熱い衝動が走り便所に駆け込んだ。ミヤタの健やかな寝顔に嫉妬を覚えつつ、清涼飲料水を飲みにでかけた。

近くにあった売店は小学生にしかみえない子が働いていた。 汗を流しながらコーラを飲んだ。

飲み干すとまた飲みたくなり、汗も止むこともない。

ここまで来たのにしていることは清涼飲料水を飲むか便所にいくことしかなく、惨めになってきた。

「どっかで水を飲んだんとちゃうか」

一見してヒデオに体調を見破られた。

鋭い刃物のような目付きが私の全身を突き刺した。

「このへんであんまり水は飲まんほうがええで。いろんな病気の原因にもなるしな。俺も四年前やっったかなぁ、ネパールで肝炎になってしもてなぁ。つらかったわ」

彼はどういう風に体調を維持しながら旅行してきたか(彼は移動と言っていたが)を静かに話し始めた。

スーダンでは一ヶ月の間マンゴーだけを食べてしのいだこと。下痢や発熱があったときはお粥を作って休んでいたこと。そのためにいつも自炊できる道具は持っているらしい。移動はまず自分との対話から始めるということ。根底にあるのは自分しかない頼れないということ。

理解はできたが自分には到底真似はできないだろう。

 

 昼食時になってミヤタとヤマダがいろいろと食べ物を買ってきてくれた。
 野菜類と果物を無理して頬張った。五分もしないうちに下腹部がよじれだし、腸が痙攣してきて、便所に駆け込んだ。

ほぼ咀嚼した状態で排出された。トマトはトマトのままであった。なんのために胃や腸があるのか。

少し大きい未消化物が通過するたびにもっこり腫れた肛門の片側だけが敏感になっていた。 

結局、この日は一日中、喘ぎ、悶え、唸っていた。

三十六回、雲古をした、

 憂鬱だ。

 

 眩しいぐらいの日差しが私を照りつけてきた。それでもまったく動く気力がなくなりつつあった。蒸せかえるような暑さと湿気とイスラム社会という環境が私を 生きた屍にしているように思えてきた。体にハエがよく絡むようになってきた。突然、ヤマダが

「あきませんわ。見て下さい。これを」

といって腕から肩をみせた。三ミリ大の湿疹が一面にできていた。

「なんやかんやでここで死ぬような気がしますねん」

大丈夫、アホは死なへんとは言えなかった。花の都ペシャワールに来ているのに、私とヤマダは情けない限りだ。自分の面倒だけで疲れつつあった。

ミヤタも強烈な下痢に襲われたけれど、威勢よく、

「調子はよくないけどさ、うじうじと部屋に籠ってもしかたないしね。バザールにいってヒデオに会ってくるよ」

ヤマダも私に気を使いながら一緒に出かけていった。

異国でいったいなにをしているんだろう。孤独感と自責の念がとめどなく広がっていった。

痔と下痢となじめない食事と猛暑。四重苦だ。

排泄だけのために生きている哀れな男がここにいるぞ、と叫びたくなった。

気がつけば便所を中心に生活をしていた。誰にも侵犯されず『自分』と語れる空間。

神聖な場所になりつつあった。

スープしか飲んでないのに、三十一回も雲古をした。

 

        4

 この日も神聖なる場所が中心だった。

二十六回。

踏ん張った。

 

        5

 冷し中華が恋しい。

この暑さが私の上に圧し掛かって、いつも目覚めさせた。ヤマダの持ってきた抗生物質を飲んでも、少しも体調は変わらなかった。

時間と比例して気だるさと焦りが増幅していく。今日もひとり部屋に残され、便所に通いつめる生活が待っているのかと思うと涙がでてきた。

もうガンダーラの遺跡もへったくれもない。どうにでもなったらいいと思った刹那、笑い始めた。それも馬鹿笑いだ。いったいなにが起きたのか。

発狂したように笑いつづけた。とうとう狂ったのか。と思ったがそれが止むと体の一部に変化がした。

勃起したのだ。

ろくな物を食べていないのに。微熱があるのに。隆隆とたくましくそびえ立っていた。死ぬ前に祖先を残せということなんだろうか。

いつもより大きく思えたモノを感動しながら、ずっと眺めていた。

 夕方になって皆が私のために集まってくれた。心配してくれていた。

「暑さにやられてるんやから避暑地に行ったらええとおもうデ。

とヒデオがいうとミヤタが決めていた所があったらしく、地図を拡げて予定の場所に鉛筆で記した。

スワット地方という所で地図上では高峰K2のすぐそばだった。ここなら涼しいにちがいない。

移動中に便意を催さないことを祈るしかなかった。

翌朝、キンキラキンに装飾された小型バスに数時間揺られて、ようやく小さな町に着いたのは夕刻だった。

ここまできたら、さすがに涼しく汗もでなかった。バスターミナル近くの安宿で宿泊することになり、地元のお薦めの中華料理店で食事をした。

部屋に戻るといつものようにヒデオとミヤタは大麻を吸い始めた。

「やっぱりこっちに移動して正解だったね」

 薄い笑みを浮かべながらミヤタがいった。身も心も空を飛んでいるかのような表情だった。

対照的にヤマダの顔が蒼白になっていった。便所に走っていった。激しい嘔吐の音がこちらまで聞こえてきた。

化石化したような表情で戻ってきた。

「どうもないし心配しんといて」

とオカマ風に小さい声で囁いた。

あくる日、カラムという避暑地の村に行くべく小型乗り合い自動車に乗ることになった。既に、満員らしく我々は屋根の上に乗せられた。

いや載せられた。揺れまくる屋根の上はまるでインディージョーンズにでもなった気分だった。進むにつれて景色が厳しくも美しく変化した。

何千メートルはあると思われる荘重たる山々の勇姿が眼前に現れだした。右側には数百メートルはある断崖絶壁になり、下には泥色した川が勢いよく流れていた。

振り落とされないようにしっかりとバーを握りしめた。腕が疲れた頃カラムに着いた

ここまで来ると花の都ペシャワールとは真夏から初冬ほどの差があった。

何千メートルの山々に囲まれた風景を見るのは初めてで、そのスケールの大きさに息を飲まれた。

 ミヤタがホテルをみつけにいっている間にチャイ屋(チャイハナ)で待つことにした。

砂糖が異常に入ったチャイを啜っていたら、後ろのほうから罵声とおもわしき声が聞こえた。

喧嘩だった。男二人の取っ組みあいがはじまった。

一人の男がナイフを取り出そうとしたら、もう一人男は右のポケットに入れていたブローニングの小型拳銃を取り出そうとした。

やばいなぁと思った瞬間、自動小銃を持った男が二人の間に入って仲裁に入ってことは収まった。怖かった。

「とんでもないとこに来たなぁ。引き返そか」

ヒデオが目を丸くしながらいった。

「こわいとこや」

ヤマダの足がずっと震えていた。

私は恐怖のあまりタバコをひたすら吸い続けた。

よく観察すれば、ここの村人のほとんどの人が銃を携帯していた。開き直るしかない。

ここはやはり異郷なのだ。

 

 ミヤタがみつけてきてくれたホテルは、ホテルというよりは馬小屋だった。

ブロックでできていて、鍵はかからず、いたるところにある隙間から冷たい風が入ってきた。

夜になれば少年がオイルランプを持ってきてくれた。

 虫の鳴き声が一斉に聞こえ出した。

ここはやはり異郷に違いない。

          6

 すこぶる気持ちのいい目覚めだった。汗はまったくかかなくなり体も軽くなってきた。食欲も戻りつつあった。

あいかわらず下痢だけは続いていたが、下腹部に痛みは弱く緩くなってきた。色は透明な液体からチョコレート色で雲泥状になった。

匂いは強烈に臭くなってきたが、それまでは匂いがなかったことに気がついた。

夜中に突然、激痛が走り、外にあった便所に向かったが鍵がかかっていた。洩れそうになりながらトラックと乗用車の間に急いだ。

パンツをおろしてしゃがんだ。それまで静かだった虫たちが、一斉に鳴きはじめた。それはまるで、孤独な私を慰めてくれているかのようだった。

日本で見る月とまったく同じ月が私を照らしてくれていた。当たり前のことだけど慈悲に満ちた光のように思えた。キンタマと肛門の間を涼しいというよりはむしろ冷たい風が吹き抜けた。

生まれて初めての野糞は予想もしない恍惚感で満たされた。

 

 鶏の鳴き声で目覚めた。

便所近くの洗面所にいくと、四羽の鶏が私の野糞をした辺りを突いていた。

昼食時、チキンカレーがでてきた。チャパティを手でちぎりながら、カレーに浸して食べた。

美味いと思った瞬間、悪寒が走った。鶏肉だ。

恐る恐る敷地にいる鶏を見にいくと三羽になっていた。驚くことでもない。きわめて日常的なことだ。

私の雲古を食べた鶏を食べて、また私は雲古をするのだ。自然の摂理だ。

小学生のころ、モンシロチョウの幼虫を採りにキャベツ畑にいった。畑には雲古が肥料としてかけられていたことを思い出した。

日常的に雲古は身近に存在していた。その頃が急に懐かしく感じられた。

私たちは生きている限り雲古を放出するのだ。

そう思ったら元気が出てきて、席に戻ってカレーを二杯たいらげた。

 

その夜、これからみんなどうするか、どこに行くのかを決めることになった。

「オレは日本に帰るわ」と私。

「ウーン、そうか」

とミヤタ。

「そんなこと言わんと一緒にインドにも行きましょう」

といつもの調子でヤマダが言った。

「いや、その体調やったら帰ったほうがエエ。インドなんか絶対無理やデ」

殺気立ってヒデオが言った。

情けないけれど私には日本に帰るという選択肢しか考えられなかった。

結局、ヒデオはバンコク、ミヤタはインド、ヤマダは保留ということになった。

この夜もヤマダは嘔吐していた。ほぼ毎日だ。

影が薄く、眼が暗く澱んでいた。

ヤマダが心配だ。

 

 花の都ペシャワールに戻るべく、カラムの村を早朝に出発した。途中、バーレーンという村で泊まることになった。

渓流沿いにあるホテルから見える景色は格別だった。午後五時を過ぎると、山間部にある民家に一斉に電灯が点りだした。

まるで私の心の心象風景のようだった。もうすぐ日本に帰れる。もうすぐ日本だ。そう思うと嬉しくてしかたなかった。

灯りが納豆にも冷麺にもたこ焼きにもみえてきた。
「そんなに日本に帰りたかったんや」

ビデオが冷笑を浮かべながら言った。

だまって頷いた。私の顔は緩んだままだ。自分の脆弱さを肯定しつつあった。

「オレは帰りたないわ」

そういうと空を見上げながら、小さなため息をした。

崇高な仙人のようだった。なにも話せなかった。

ヤマダはこの日も嘔吐を繰り返していた。日毎に顔色が悪くなっていた。ただでさえ無表情の男がより無表情になっていた。

 

 異常な痒さで目覚めた。肩から腕、首筋から背中とかぶれていた。南京虫のようなものに噛まれたのに違いなかった。

ヤマダを見るとさらにひどく噛まれていて左の頬までもやられていた。左上腕部がなまこのようになっていた。

「めちゃくちゃ痒いですわ」

顔をしかめながら言った。

「こんなんまだましやで。ネパールで噛まれたんはえげつなかったで。それに比べたら屁みたいなもんや」

腕を掻きながら澄ました顔でヒデオが言った。歴戦の勇者の言葉に我々は寡黙にならざるを得なかった。

昼過ぎに花の都ペシャワールに向かうバスに乗った。我々四人だけが、ポリポリとそこらじゅうを掻きまくっていた。

三時間近くでターミナルに着いた。相変わらず蒸せかえるような暑さだった。
馬車に乗り換えホテルへ向かった。鞭の音が激しくいくと馬のひずめの音もテンポよくなり、馬車の老人がなにか歌いだした。

 タイムマシンで何百年も前にトリップしたようだった。

 

 ホテルに着いて、次の予定にしたがって各自が動きだした。

ミヤタとヒデオはラホールに一緒に行くらしく、列車の時刻を調べに行った。

ヤマダはしばらくここに残って様子をみるらしい。

私は帰りの飛行機のブッキングにいった。戻ってくるとミヤタとヒデオは明日だとちょうどいい列車があるらしく、荷造りを既に始めていた。

このメンバーとの最後の夜が以外と早くやってきた。この旅行の最後の贅沢だと思い、パーティーを提案した。私の驕りで。

この国で酒を飲むには一流ホテルしかない。私たちは普段なら縁がまったくなさそうな高級ホテルを目指した。

少しおびえながら酒が飲みたいと伝えた。フロントの男性はOKといって飲酒許可証みたいな用紙を各自に渡した。

名前や住所など各項目を書きおえて、手数料を添えて渡した。すると、一枚を見ながら、

「ノーレジジョン?ホワイ?」

と目をまるくして尋ねてきた。待っていたかのようにヒデオが、

「マイファザァー、ブッディスト。マイマザァー、クリスチャン。ミー、ノーレジジョン」

と言ってニッと笑った。

フロントの彼は驚きながら首を横に振り、不可解な表情をしていた。 案内されたとおり臙脂色のカーペットに敷き詰められた階段を上がっていくとBARとだけ書いてある大きな看板が立ててあり、その下にひとまわり小さな文字 でNO MOSLEM ONLY と書いてあった。バーは最悪でBGMもなく、客も我々だけで、無愛想なボーイ(バーテンダーではないだろう)が退屈そうに座っているだけだった。

とりあえずビールを二本注文して乾杯した。この国が作っているビールだったけれど、久しぶりの酒はうまかった。ヒデオはすぐに顔を赤らめ、

「久しぶりやで。酒を飲んだんわ。そやけど腹がへったわ」

よくよく考えたら、この国には酒を飲みながら食事ができる場所などない。

ビールを飲み干してから向かいにあったバイキングレストランにいくことになった。

そこには見ただけで懐かしさと嬉しさが込み上げてくるカラフルな料理に溢れていた。

スパゲティ、魚フライ、シチュー、ポテトサラダ、そしてプリンまであった。

できることなら、コロッケとたこ焼きもあれば申し分なかった。

帰国を決めてからというもの加速度的に緊張の糸が緩み、心は既に日本にあった。

「こんなご馳走食うのんて何年ぶりやろ、胃がびっくりしとるわ」

ヒデオが本当に美味そうに食べながら言った。ミヤタがポテトサラダを大皿ごと持っていこうとして注意されていた。

ヤマダはあんまり食べずにキョトンとしながら、我々のがっついた食事をみていた。

いったいどれだけ食べたのだろうか。すっかり体調の悪さを忘れていた。

 

原因は日本だ。そうに違いない。帰国まであと三日。あと三日なのだ。

          7

 朝日とともに奇跡が起こった。ムチッという音とともにそれは起こった。

なんと雲古が立派な渦を巻き慎ましく便器に湯気を立てながら居座っていた。

下痢は精神的なことが原因だったに違いない。梅雨明けのような晴ればれとした気持ちになった。

午後二時過ぎにヒデオとミヤタを見送る時がきた。

また、いつかどこかで会おうと挨拶をした。別れはなんだか照れくさい。

二人が乗ったバスはあっという間に小さくなっていく。

どこからともなくコーランが聞こえてきた。ヤマダが深くため息をついた。

 それから二日間、ヤマダの嘔吐に悩まされた。

「ぼくのことやったら心配しんといて」

といつもの言葉を繰り返した。

帰国当日、ボーイがタクシーを呼んでくれて、ヤマダが見送ってくれた。

「無理したらあかんで」

と一言残してホテルを後にした。

ペシャワールの空港では、白人女性が民衆と小競り合いみたいになっていた。

警備員が事態を収束しようとしている。緊迫した空気の中、目前で警備員に民衆が警棒で叩かれた。

私はどういうわけか動じることもなく、空港ロビーに向かった。恐怖心が失せていた。

空港ロビー待合室で数人の男性が動きだしたと思ったら、一斉にほとんどの人が座りだし、お祈りが始まった。

一人の男性の独唱とともに壮厳な雰囲気に包まれた。私はただひとり落ちつかなくなり、場違いの者がここにいると叫びたい衝動に駆られた。

                     8

 午後八時、花の都ペシャワールからカラチに向かって飛行機は飛びたった。

カラチで五時間も待って東京行きに乗り込んだ。あと十時間もすれば日本だ。

下痢、酷暑、激辛の食べ物、熱い視線、思い出すだけでもきりのない異境から解放される。

そう思うと嬉しさが込み上げてきた。

 美人な女性添乗員が、かなり淫靡な視線で見ていた私を避けるように、検疫書らしきものを配布してきた。

「いかがですか?体調は」

と少しだけ表情を硬直しながら尋ねてきた。

「もうばっちりですよ。ずうっと下痢でした」

「そうですか。大変でしたね。何事もなければよろしいですね」

もうすっかり治ってますよ。と大きな声で答え、大きな声で笑った。検疫項目の下痢の所に印をつけた。

それから三十分もしないうちにお腹とお尻がムズムズしはじめた。臍から下が重くなり、尻から下が軽くなった。

また、噴火が始まった。不安定な重力の機内をよたよたしながら便所に向かった。

肛門がざわめき、キンタマがヒクヒクと痙攣し、声が少し漏れた。
眼球が二センチほど落ち込んだような気がした。ある危惧が私の中で澱みはじめた。

午後十時三十分、予定より少し遅れて成田に着いた。長い通路をゆっくりと歩いていくと関所があった。

検疫カードを係官に渡すと別室に案内された。

「あのねぇ、WHOの関係でねぇ、強制はできないんですが、できる限り検便をしてもらいたいんですが」

「検便代はおいくらなんですか?」

「もちろん、無料ですよ」

「そうですか、それやったらなんぼでもしていきます」

そのあと、ビニールに覆われた特殊な便器で雲古をすませた。

それから到着ロビーで荷物を受け取り、バスに乗って日本橋まで行って、ビジネスホテルに宿泊した。

シャワーも浴びずにそのまま眠りこんだ。

 

 午前十時過ぎに目覚めた。ホテルの一階にあった喫茶店でモーニングセットを注文し、スポーツ新聞に目を通したが、まだ日本に帰ってきた実感がわかなかった。

日本はこんなに静かな所だったのか。異邦人になったような気がした。無性に冷やし中華を食べたくなり、辺りを徘徊した。

目的もなく地下鉄に乗り数駅を通過してから、下車して地上に出た。

そこは病人に溢れている街と思えた。同じように青白い顔色をした人たちが無表情に往来していた。

生気がない気持ち悪い街に思えた。実体のない背後霊のようなものに管理されている集団に見えてきた。

独り言をいいながら、画一化された人々の中を夢遊病者のように歩いた。私一人だけが孤立して、排除されている気分だった。

大衆中華料理店に入り冷し中華を注文した。周りの客が私をじろじろと注視してきた。なにか顔に付いているのかなと思い、洗面所にいって鏡で自分の顔をみ た。なにもおかしい部分はないと確認して席に戻ったら、また皆が睨んできた。

ひそひそと囁きあっていた。 なにかへんですかと一人に問うと笑みを浮かべながら別にと言われた。居心地が悪くなり、急いで夢にでてきた冷やし中華を食べ、東京駅に向かった。

新幹線にあわてて乗った。逃げるように東京を後にする自分が不可解だった。息がつまりそうなるとは思ってもいなかった。

ひょっとして、まだ異境にいるのだろうか。

          9

家の玄関前でお迎えの車を十五分も待っていた。

勢いよく、ただいまと戸を開けたまではよかったが、母がすぐにでてきて

「はいそこまで、それ以上入ったらあかんで。この親不孝もん」

と大きな声で叫ぶとすぐに電話をかけだした。

「あんたなー、赤痢。赤痢なんや。そやさかい今保健所に電話をしてるんや」

 そういう経緯で玄関前でじっとしなければならなかった。

まもなくワゴン車が到着した。保健所のスペシャリストなんだろうか。素早く私の荷物を玄関前に並べて噴霧器で消毒液を撒きだした。

後から乗用車できた保健所の男性に、旅先での体調を詳しく尋ねられた。ワゴン車の後部座席に座らされ、

「あのー入院代はいくらぐらいかかりますか」

「法定伝染病ですからね。無料です」

「えータダですか」

「そやけどね、あなたがいやでも私らは連れていかなあきませんにゃ。いうたら、強制入院ですわ」

と迷惑そうに彼は言った。

二十分ぐらいでワゴン車は大きな公立病院の中に進入していった。

 

「あなたはこれから毎日、徹底的に便を調べられますのでそのつもりでね」
この道二十年といった貫禄のある看護婦さんがそう言い放った。

ここ日本でも雲古を中心とした日常の始まりだった。少しは覚悟をしていたが、惨めでもあった。このさい、じっくりと自分の分身と付きあっていこう。

雲古を済ませてから看護婦さんにいろいろ尋ねた。二十年前は伝染病棟は患者で満室も度々あったという。衛生状態が年々向上していき、今では私のよ うな海外旅行者ばかりらしい。

それと呼応するように雲古も私たちの生活からは遠い存在になっていった。幼少の頃は一日一度はどこからともなく雲古の匂いが した。雲古を汚物として嫌っていながらも親しみがあった。

 人は生きている限り雲古を排泄し続ける。

雲古は生の証だ。旅行では考えられなかった愛しさが芽生えだした

 

 コーラの瓶底のような眼鏡をした医者が六人部屋に一人しかいない病室にやってきた。

「結構な身分ですなぁ」

といいながら触診をはじめた。

「二週間で退院できるしなぁ。まぁ、ゆっくりしていきいな」

にやにやしながら出ていこうとした時、急に振り返って

「できるだけ見舞いは断ったほうがええで」

と言い残して出ていった。

疎外感が部屋中に溢れだした。

広くて豪華な便所で生活しているような気がしてきた。

翌朝、検温のために起こされた。なんと十六時間も寝ていた。朝食の重湯を食べてから検便用の雲古をした。

「どんな便でしたか」

「下痢ですが」

「形は」

「液状です」

「そうですか。じゃ無形軟便ですね」

といってカルテに記された。ということは有形軟便もあるということだ。所変われば雲古もアカデミックに表現されるのだ。

例の瓶底眼鏡担当医がきた。

「あんたな、二種類の赤痢菌をもってたで。たいへんやったやろ」

そうですか。以外に少なかったとは言えず、苦笑するしかなかった。
「一日に四十回くらい下痢したときに感染したんやろな。よう帰ってきたもんや。
もう少ししたら普通食にしたげるさかいな」

普通食。

そういえば、まだコロッケもたこ焼きも食べていなかった。帰国した実感も湧かないはずだ。

 

隔離五日目。

雲古は様々な変化を見せ始めた。湿った花火のように暴発し、便器のまわりに飛び散り踵辺りにかかったこともあった。

まるで鹿の雲古のような小さい球状のようなときもあった。異国で排泄した物とは、色、形、匂いとすべてが変化していった。

色はこげ茶から金茶、そしてクリームと変化した。

便所から戻ってくると驚いたことにお見舞い用の白衣を着たヤマダが立っていた。

「どうですか、調子は」

「なんでやねん、ヤマダ。なんでおまえがここにいるんや」

「はぁ、あれからいろいろ考えてすぐに帰国したんですわ。僕もなんか病気を患っているような気がしたんやけれど、なんもひっかりませんでしたわ」

ヤマダは一時間ぐらい話し続けて帰っていった。あれだけ調子の悪かった奴が信じられないぐらい元気になっていた。

 人生とは皮肉なものだ。

 

 朝五時半に起床、七時朝食、十二時昼食、十七時夕食、二十一時就寝、一日一回の薬と検便。

二日に一度、三階の無人の病室で洗濯、四日に一度、四階の風呂場で入浴。これらのことが日課になった。

病室はスイートルーム並の広さだし、クーラーはあるは、食事は運んでくれるは、しかもすべてが無料なのだ。

VIPなみの扱いだ、と思いたかったが現実は三階の小部屋で雲古まみれのパンツ洗うという惨めなことをしていた。

見舞いもヤマダ意外誰も来なかった。自己嫌悪と絶望感に支配されつつあった。

孤独だ。

ある日三階に洗濯をしにいくと、誰もいないはず病室から声が聞こえてきた。しだいに大きくなってきた。

おそるおそる病室を覗きにいくと、十人も患者さんがいた。母親ぐらいの女性に見つかった。

「あんた、二階に入院している人やろ」

「はぁ……

「エエとこ行って来たんやてなぁ」

「あ、ハイ」

 その懐かしい顔は愛想よく微笑んでいる。

「にいちゃん、まぁゆっくりしていきいなぁ」

といきなり赤ら顔のおっさんが言ってきた。病人だというのに酒をかなり飲んでいるようだった。どこが悪いのだろう。

しかも楽しそうで幸福感に溢れていた。ここが病室とはとても思えなかった。

「みなさん、病人には見えないのですが」

と尋ねると全員が私を睨んできた。表情が一変して殺気立った。

「わしらはなぁ、人間臭いのや、人間臭いということで隔離されてるんや」

と鬼瓦みたいな顔したおっさんが大きな声で叫んだ。

「にいちゃん、臭ないか、えっどや、臭いやろ、おれら臭いやろ」

全員が叫びながらゾンビのように近づいてきて擦り寄ってきた。

あわてて病室を抜け出し廊下を走った。すると目の前に雲古に満たされたプールが出現した。勢いよく飛び込んだが、泳げないことに気がついた。

誰かー助けてくれーと叫び続けた。

 

 夢だった。

汗で枕が湿っていた。

思えばしばらく雲古の夢ばかり見ていた気がする。

生物は生きている限り雲古を排泄し、死が訪れたとき肉体そのものが雲古となる。

 

雲古は生の証。

 

自然の一部。

 

 そんなことを考えていると急に便意を催し駆け込んだ。便器の上に思慮深く上品に居座っている雲古をみて狼狽した。なんと限りなく白に近いクリーム色だった。

医者に尋ねると食事のせいだからまったく気にしなくてもいいということだった。

隔離されて十三日目にして、白い雲古をするまで至った。

 

最後の風呂の日がきた。それは退院を意味している。いつもの四階ではなく一階の風呂に入ると、出口には消毒された荷物が置かれていた。

まるで刑務所の出所のような気分で、少し猫背になりながら詰所に挨拶しにいった。

やっと旅から帰ってきたようだった。夕刻だというのに娑婆はまだまだ暑かった。

 アツイと小声で呟いた。             了

 

参考文献
  トリックスター 演技としての悪の構造  小川 了 著(海鳴社)