久しぶりに喜連瓜破の祖父母の墓参りに行きました。
祖父は今から50年以上前に御茶屋を経営しておりまして、さわやかなお茶の香りを覚えております。
祖父 植田源三は、第一次世界大戦に第二特務艦隊隊員として参加致しました。
第一次特務艦隊は、当時のロシア艦隊を日本海海戦で撃破した日本海軍です。
丁度ロシア艦隊が、北欧から日本を目指したのと反対で、日本から地中海を目指して地球を半周する旅でした。
台湾から香港、インド洋を通りスエズ運河から地中海に入り当時のドイツのUボートと戦ったと聞いております。
丁度2年前が、第二特務艦隊が地中海遠征から100年後と言う事で雑誌に取り上げていただきました。
祖父は、母に当時の軍港マルセイユを見て市街地の住宅がレンガ作りなのと西洋の軍事力、食生活を体験し、この国と戦争したら、間違いなく負けると思ったとの事。
後年それは第二次世界大戦で現実となりました。
戦死された方も多く出て、マルタ島の英国海軍墓地に慰霊碑も建立されており、日当たりの良い一角に埋葬されているとの事。
水雷学校を出て軍隊生活をした祖父は、その後、閑院の宮付き将校になり、落語の目黒の秋刀魚の様な話しを母に語っていたそうです。
母以下3人の叔父・叔母は祖父が退役してからの大阪にきてから生まれました。
今平和を感受しておりますが、そう言う時代の上に現在があるのです。
祖父は製紙会社を退職後、出身地の産業のお茶屋を経営して65歳位で他界しました。