電子雑誌 「政経電論」
http://seikeidenron.jp/

のメールマガジンにて、
メールマガジンで連載した、
前編・後編の総集編です。
長文につき、読まれる方は
6・7分程、掛かります。
僕にとっては生涯忘れる事無き、
苦難と感動の物語であります。


「上場物語(前編)」----------


はじまりは、今から18年前。
今のように
「ベンチャー」や
「アントレプレナー」といった言葉が
まだ使われていなかった時代です。

当時28歳の僕は、
ちょっとした青年実業家として、
テレビ番組に出演しました。
(徳光さんが司会をされてた
人気番組でした)

スタジオの収録に先立って
1日密着取材があり、
リクエストされたのは、
当時乗っていたポルシェで都内を疾走し、
ライトアップされた
東京タワーの前で夢を語るというもの。

こんなベタベタな内容、
今だったら絶対に断ります!(笑)

とはいえ、
当時は悪い気はしません。
そこで質問されたのは
「あなたの夢はなんですか?」でした。

気持ち成功者を装った僕は、
2つ答えました。

「1つ目は、日本一になることです」

「2つ目は、上場することです!」

内心、キマッた!
めっちゃカッコいい!!って(笑)

その時のシーンが、
後日スタジオの収録から
お茶の間に流れました。

出演者の方々から
「若いのに上場するって、
スゴいこと言うね~!」
と、
面白おかしくツッコミが入ります。
テレビ的にカラカワレて当然です。
だって僕自身なんの根拠もありません。

そもそも上場の意味すら知らない。(照)

「要するに、ソニーとか、
ホンダとかみたいに
おっきくなるってことやろ!」
って
思ってました。
漢字も“上”の“場”って書くし。
(小学生か!)

当時はまだ、
マザーズやナスダックといった
新興市場は存在せず、
ベンチャー企業は
上場をほとんど口にしませんでした。

番組が放送された直後、
バンバン電話がありました。
電話してきたのは
経営者の先輩方々。

先輩A:
「お前はバカか!
上場の意味を知らないのか?」

先輩B:
「公共の電波で恥さらしも
いいとこだ!」


先輩C:
「お前の会社、社員何人や?」

僕:「10人っす!」

先輩C:
「近藤!おまえの会社が
上場できる可能性は
0.0000000000000…1%もないぞ!」

… そんなに酸欠になるまで
0を連発しなくても^^;

しかし、
この先輩達の反応に
「上場」のハードルの高さを実感し、
僕は益々気持ちが上場に向きます。

「そっか!
上場ってそんなにスゴいことなんだ!
なんかワクワクしてきた!
自分たちも日本を代表する
企業になるべく上場しよう!」

この時始めて上場の夢を
心に刻みました。

決意した僕がまず最初にしたことは、
当時10名ばかりの社員と
夢を分かち合うことでした。

ここはシンプルにダイレクトに。

僕:
「皆、上場しようぜ!!」

社員:
「… 社長、上場ってなんですか?」

僕:
「よくわからん! でも、
メッチャカッコいいことや!
うちがソニーやホンダのように
デカくなることなんだ!」


社員:
「… 社長、なんかそれ
カッコイイっす!」

僕も社員もステージが
大きくなる事に夢を感じ、
「カッコイイ!」
社内にこだましました。

根拠0。
あるのは夢と希望。
まさに【無知こそ無敵】です。
この10名の仲間と共に
意気揚々と上場に挑んで行きます。

そんな僕達に追い風が吹きます。
アメリカからナスダックが上陸し、
日本も慌てて東証マザーズをオープン。
そう、ベンチャーブームの到来です。

快進撃を続け、
社名を日本テレックスから
ネクステルに変更。
勢いそのままに、
ついに4年後の2000年4月25日、
マザーズで上場することが
決定したのです。

東証から承認が下り、
証券コードもデビュー時の株価も確定し、
マーケットから50億円の調達まで決定。

新聞報道もデカデカと
「ネクステルなど、上場承認される!」
なんと、などがTSUTAYAさんでした。

まさに大注目された瞬間です。
その時、
会社には胡蝶蘭が床を覆うほど届き、
それこそ花屋さんができるくらい。

あとはもうカウントダウンに向けて
カレンダーをめくるだけです。
ここまで一緒に突っ走ってきた
社員達と喜びを分かち合いました。

【夢は夢中になると叶う】

ところが、
上場日を目前にしたある日、
主幹事証券会社の役員から
連絡が入ります。
彼らは僕の前で
こう言いました。

「近藤社長、
今回の上場は一旦諦めてください。
ITバブルが弾けます。」

上場二週間前、
僕は何がなんだかわからなかった。

たしかにベンチャー企業の株価は
暴落していたけれど、
それは直接的な理由ではなく
世の中の情勢。
自分の努力ではどうする事もできない。
まるで空気と戦っているようで、
このピンチに実感がありませんでした。

僕は翌日イタリア行きの
飛行機に乗っていました。
上場の目玉商品にする
フェラーリ携帯の
ライセンス契約を締結しに、
本国へ向かう為でした。
機内でふと手にとった
日経新聞の記事の見出しに
驚きます。

「ネクステル、
上場承認取りやめ。
マザーズで初めて!」

「うそーーーーー!!!!!!!」

機内である事を忘れ、
大声を出していました。

上場取消しの宣告をされたあと、
いきなり新聞の一面です。
テレビニュースや
海外のメディアにも
取り上げられました。

「Nextel give up IPO」

昨年、
ソフトバンクが買収した
アメリカ携帯キャリア3位の
ネクステル社から、
当時、迷惑だから社名を変更せよと、
当社に手紙が届く程の騒ぎでした。

内心は
「ウチみたいな小さな会社がなんで?」
その訳は、崩壊した日本のITバブルが
世界中で報道され、v その第1号の生け贄になったからです。

すぐそこまで来ていた
上場から一転、
考えもしなかった
最悪の状況に陥っていきます。


後編につづく。


「上場物語(後編)」----------


ようやく掴みかけた
夢の上場が直前取り消しとなり、
それどころか最悪な形で
メディアにも大きく取り上げられます。
また、日本における
ベンチャーバブルの崩壊、
マザーズ第1号の
承認取消しの当社は、
まるで生贄のように、
世界中で報道されました。

「Nextel give up IPO」

イタリアでのフェラーリ社との
ライセンス契約(オリジナル携帯電話)
から帰国すると、
さらに辛い出来事が立て続けに
押し寄せてきました。

まず、銀行が全面撤退。
上場による資金調達を見越した、
大型投資の借り入れ金が
突然引き上げられたのです。

理由を聞くと
「過去、上場直前に
取り消しになった企業は
20数年ぶり。
再度上場をした
前例がありません」
というのです。

上場取り消しになっても、
順調に事業は利益を出し続け、
黒字にも関わらず、
あと2ヶ月でキャッシュアウト
という急展開。
つまり倒産です。

さらに追い討ちをかけるように
悪い出来事が続きます。
帰国した時、机に封筒が一つが
置かれていました。
気にはなっていたけれど、
方々への対応で混乱を極め、
開く余裕が全くなかった。

夜になって、
副社長の大前が
暗い顔で僕の部屋に入ってきて
こう言いました。
「社長、海外に行ってる間に
言えなかったことがあります。
彼女が亡くなりました。」


“彼女”とは、
一年程前にガンになった
女性社員の事でした。

本人は告知を受けた時、
会社に迷惑をかけるので
辞めると言ってきました。
そういう事を考えられる
優しい社員でした。

でも、僕はこう返した。
「お前は、大切な同志であり家族だ。
戦う場所がオフィスか病院の違いだけ。
病気治して帰ってきた時、
お前も上場会社の社員だ。
心はひとつ。だから頑張れ!」


「社長、ありがとうございます!
私、必ず治して戻ってきますね!」


慌てて封筒を開くと、
退職願いと、
僕への手紙が同封されていました。

手紙には、
ようやく読めるくらいに
震えた字で
「社長と出会えて本当に幸せでした」
書いてありました。

その瞬間、僕の心は折れました。

上場が取り消しになる。
銀行が撤退する。
親愛なる社員が亡くなる。

まさしく絶望でした。


社内での話し声が聞こえてきます。
「会社ヤバくないですか?」と
アルバイトの子が
社員達に聞いています。

社員達はこう答えていた。

「社長を信じる!
一番つらいのは社長だ!
こんな時こそ俺たちが頑張ろうぜ!」

こんな誰もが諦めても
おかしくないような状況です。
でも、社員は僕を信じて、
ファイティングポーズを
崩していませんでした。

なにより社員が誰一人として
辞めなかった。

絶望の暗闇から
僕に勇気を与えてくれたのは、
本来僕が救うべき社員達でした。

「この無様な姿はなんだ!
どんなに苦しくったって、
誰よりも一番頑張るべきは
社長である自分だ!
絶対に絶対に盛り返してやる!」

僕はもう一度奮起します。


上場を取り消され
社会的に孤立していましたが、
いい意味でも悪い意味でも
報道によりウチは有名でした。

企画力・営業力のある自分たちを
必要としてくれる会社があるはずだと、
考えを巡らせました。

閃いたのは、ソフトバンク社。

アポイントの時間はわずか15分間。
通された先は
ソフトバンク・インベストメントの
北尾さん(現:SBIホールディングス
株式会社代表取締役執行役員CEO)
でした。

短い時間でしたが、
ウチの潜在力を高く評価していただき、
なんとその場で30億円の出資を
決めてくださったのです。

今でも、その時の北尾さんの
言葉を忘れません。

「君の眼は輝いている。
いつまでも青きロマンチストであれ!」


後に、ネクシィーズは
数百億円単位のリターンを生みます。
また、孫正義さんと組んで、
Yahoo!BBの普及に大きく貢献した事で、
北尾さんへの義理も果たせたかもしれません。
しかし、恩は一生かけても返せません。


そして、
2年後の2002年3月6日、
ネクシィーズは
ナスダックジャパンに
念願の上場を果たしました。
さらに、2004年11月11日、
東証一部に上場。
(当時、最年少創業者社長!)

余談ですが、僕の誕生日は
11月1日です。運命のイタズラか、
11月11日に1部に上場なので、
1が8つも並びました!(笑)


これが、
ネクシィーズの上場物語です。

この経験は、
本当に苦しかったけれど心を鍛え、
同志と夢を叶える素晴らしさを
改めて教えてくれました。


【人は無理だと思った瞬間に
進歩が止まり、
不可能だと口にしたとたんに、
未来はつまらないものになる】


【人は絶望を希望に変えられる】

最後に、上場で一番大切なのは
ビジネスモデルと成長力です。
どんなに経営者や社員に
アツい情熱があっても
上場はできません。

でも僕はあえて言いたい。
会社で一番大切なのは、
人である。と。

【人が輝けば企業が輝く】
その絆の力を、
これからも大切にしたいと
思うのです。


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