69号

今から 4年前、僕は日本企業初、イタリアの名門
フェラーリ社とのライセンス契約を締結した。
当時、テレビCMでも、エンジン音を響かせ
「もう1つのフェラーリ。 ツーカー」と流れていたんだけど、
もう古い話しだから、覚えてないでしょうね。(笑)
実は今日、書類を整理していたら、
あの頃、僕が初めてイタリアに交渉に行った時の
懐かしい日記が出てきたんです!

株式会社ネクシィーズ代表取締役社長 近藤太香巳オフィシャルブログ

ちなみに1996年、僕は世界で始めてのOEM、
オリジナル携帯電話機をカリスマ・アーティストグループ、
X-JAPANプレミアムPHSをデビューさせた。
当時は、今とは違い、携帯端末に
オリジナリティーを持たせる発想はなかった。
その後、ドコモがベンツ携帯を発表した。
その時、僕は思った。
「ベンツに対抗するには、F1だろぉ。
良し!F1と言えば、フェラーリだ!」
と単純に思い、チャレンジした。
調べれば調べる程、名門の壁は高く心が折れそう!うぅ~ん。
だったら、直談判だと考え、アポをとってイタリアへ飛んだ。

そんな旅先で書いた僕の当時の日記、
良かったら読んで見て下さい。


帰国後、フェラーリ社から一通の手紙が僕に届いた。
そこには、こんな言葉が記されていた。
「我が伝統あるフェラーリは
日本のパートナーとして、あなたを選んだ。
誇りに思って欲しい。フェラーリが選んだ男なのだから」
・・・・感想は、カッコイイ!の一言でした。

そして、20世紀の最後を締めくくる2000年の10月、
フェラーリオフィシャル携帯電話のデビューは、
鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催された時だった。
このシーズンは、タイトル争いが激戦し、
決着は最終戦の鈴鹿まで持ち込まれていた。
そして、フェラーリチームは、なんと21年ぶりに、
コンストラクターズポイントとドライバーズポイントの
Wタイトルを獲得し、総合優勝に輝いた。
フェラーリ携帯も、こうして鮮烈なデビューを飾ったのです。
それはそれは、嬉しかった良き思い出です。