5月3日に奈良県の広陵町にある牧野古墳(ばくや)に行ってきました。近鉄線五位堂駅から歩いて30分程の馬見丘陵のほぼ中央に位置した場所に古墳は有ります。

この日は3日間限定の石室公開の日で古墳の前にはガイドさんなども待機されていました。3月3日にも此方の古墳には行ったのですがその時は石室を見つけられず今回はガイドさんの案内で場所が分かりました。

古墳の規模は直径50メートルで高さが13メートルの三段構成の円墳で埴輪等も出土しており6世紀末頃の築造だと考えられています。

天井の高い牧野古墳の玄室内部です。

石室は立派な大きさで全長が17メートル(羨道が10メートルで高さが2メートル)玄室が長さが7メートルで高さが4.5メートルある両袖式横穴式石室となっています。玄室内には横向きにくり抜式家形石棺が置かれていました。現在は破壊から免れた蓋部分が残されています。

石室内部の石も大きく三段構成で積まれており入口付近の石が最も大きく約60トンと推定されていて石室の規模は蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳に次ぐ大きさとのことです。

牧野古墳の長さのある羨道部分です

牧野古墳の被葬者は第30代敏達天皇の皇子「押坂彦大兄皇子」の可能性が高く蘇我氏の血を引かない王位継承の最有力の地位にいましたが592年~607年の間に亡くなっています。一説には暗殺されたとも言われています。

皇子は実力者で自身の独立した財政基盤を持ち牧野古墳近くに水派宮(みたまのみや)と呼ばれる宮も持っていました。この皇子の遺産が後の大化の改新の元になったとも言われています。

もしこの皇子が長寿であり葛城氏や物部氏などと手を組めたなら歴史はかなり変わっていたかも知れませんね。立派な石室でしたので又機会が有れば訪れたいと思います。


葛城の道の途中にあった看板です。