特別な写真、とっておきの写真を記録する毎日 | 近藤昇ブログ 仕事は自分で創れ!

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「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

 

 

写真との付き合いが長くなってきた。


正確に言うと、写真を日常で撮りだして10年超である。

昨日も、私が行っているライブ配信“ブレワ”で写真の話をした。

 

 

 

実は、私は今、スマホで撮影した写真が、一部動画もいれて15万枚近くある。

時々、写真の話題になって、枚数だけ伝えると大抵の人は驚く。

最近は、日常で多いときで100枚近くは撮る。これを単純計算しても1年で3.6万枚だ。特別な旅先などであれば、300枚、400枚は撮る。

 

実際、手持ちの写真を時々検索したり眺めたりするが、10年前だと1日10枚あるかどうかだ。簡単に言うと、最近、1日に撮る写真の数をグラフに書けば右肩上がりという事になる。理由は、やはり、SNSやセミナーで頻繁に使うようになったからだ。

 

ここ数年間は、表現することに写真をよく使っている。私の場合、表現するという機会は、比較的多いほうだと思う。

表現の方法としては、書籍やブログなどのテキスト、パワーポイントなどの図、動画、そして写真などがある。大抵は、このあたりを組み合わせて使う。

 

おそらく、自分が特別に扱っておきたい写真を、ランキングする時間があれば、膨大な中からでも並べることが出来る。

それぐらい写真は一枚一枚がエピソード記憶の一助になっている。

一般的には、私の理解ではエピソード記憶と言うのは、自分の頭の中だけの記憶の話で、何かのキーワードや出来事と紐づいて記憶することである。鮮明な写真のイメージで記憶に残っているわけではない。

 

昨日のブレワでもアシスタントに選んでもらった11枚だけで話したが、どの1枚にも物語があり背景がある。













例えば、単純な風景だったとしてもいつどこで何をしていたか?だけでも写真を見れば瞬時に思い出す。

実際、昨日のブレワでは、私がこの数年間の中から、スマホでお気に入りマークを付けている中から、100枚ほどを選びそれをアシスタントに自由に選んでもらった。

 

私はライブ本番では、セレクトしてもらった写真を見てその瞬間思い出したことを話した。いわゆるアドリブに近い。実際に、話し出したら1枚の写真でも20、30分ぐらいの話になる事もあるが、昨日は全体で30分なのでコンパクトに話した。

 

日記をつけることが習慣の人も意外多い。

私は日記はつけないが、今は、毎日ブログが日記の代わりになっている部分もある。

昨日写真をテーマに話してみて、ふとあることを思いついた。毎日、写真のみで日記をつける。こういう試みも面白そうである。

 

実際、私の場合、ここ数年は写真を撮っていない日はないと思う。これからもそうだ。

今となっては、趣味か仕事か曖昧だが写真を撮ることが習慣になった。


しかも、スマホに限らず写真を撮る行為がとても簡単になった。私は基本は写真の加工はしないが、今は撮影した写真を色々利用できる。写真を集めて動画もできる。

 

実は、私は子供の頃、とても写真が好きだった。おばあちゃんにおねだりして、カメラを買ってもらった。小学生高学年の時だ。カメラで写真が撮れる。この機械的なしくみというかテクノロジーにとても関心があった。

 

今も変わらず思うこと。写真は時間と空間の瞬間を記録する。この行為は不思議な感覚だ。

なぜならば、何もしなければ永遠に消えてしまうのだから。あの時のカメラで撮影した写真が1枚も残っていない理由は分からないのだが、あの時のワクワク感はいまだに忘れない。

 

その後は、修学旅行の時に写真を撮る。運動会の時に写真を撮るぐらいだった。大学時代はスキーに行ったときや友達と旅行に行ったときに撮る。たまのデートで撮る。こんな感じだったので、今でもその頃の写真はほとんどない。使い捨てカメラが主流だった頃だが、写真が残っていないのである。

 

会社を始めたころに、写真好きの高校の友人に、写真は絶対あとあと価値が出るからマメに撮っておいた方が良いと言われたことを今でも思い出す。

 

ようやく、その意味が分かるようになったが、30代は会社経営にまい進していて、多分写真どころではなかったのだと思う。

今更ながら、創業してから15年間ぐらいの写真の少なさを後悔している。何か創業からのストーリーを創ろうにも、経営の前半の写真がほとんどない。

高校の友人の忠告の重みを今更ながら感じている。

 

話は変わるが、今は記録の時代である。

これは私の発想なのだが、忘れていく人生も時には大切だと思うが、写真による記録は積極的に取り組んだ方が良いと思う。

なぜならば、表現するという手段の中でも一番簡単でコストも時間もかからない。ふと気に入った風景、気に入ったシーンと思った時に、スマホのボタンを押すだけでよいのだから。

 

こんな便利な時代に生きている事すら、慣れ過ぎて分からなくなっているのだろうと思う。


写真で気を付けることとして、プライバシーの侵害や著作権などはあるが、あくまでも自分だけの記録であれば、そんなに気にすることでもない。それをSNSなどでオープンするときなどは、他の表現の基準に照らして考えれば、大きなトラブルにはならない。

 

すでに、インスタなどには膨大な写真が世界から投稿されている。

こういう時代の感覚を掴むためには、自分が写真を撮ってみて、自分なりの写真の価値を常に知っておくことは大切だと思う。

 

そんなわけで、これからも“とっておきの写真”を生み出すために、写真を撮り続けようと思う。

 

最後に、私の次の目標であるが、一つは本格的なカメラで写真を撮ることだ。デジタルカメラも便利だと思った。スマホはもっと便利だと思う。しかし、手軽過ぎて子供の頃のカメラのワクワク感はない。

実は3年前に購入したままになっているカメラがある。新古品になってしまった。これを使って何かを発見したいと思っている。

 


もう一つは写真と絵画の連動である。とっておきの写真で絵を描く。

こんなことを本格的に取り組もうと考えている。

 

以上