この数か月、誰にとっても生活様式や働き方が変わった。
そんな中で私は最近、突然生まれたこの人生の踊り場を如何に有意義に過ごすかに集中して過ごしている。
仕事に関しては、重要だけど普段できなかったことを随分こなすことができた。4月ごろは手探りの部分も多かったが、今は手ごたえをかなり感じるようになってきた。
それは、やはり、今までお付き合いのあった方々の共感や応援の声を頂けることが最大のエネルギーになっていると思う。
“今、自分がやらねば誰がやる”
という心境といったらカッコつけすぎかもしれないですが(笑)。
一方で、この期間、ゆったりと毎日のように花を眺めるようになった。
私は徳島の農村で育ったので、特に子供のころは都会の人よりも草花と一緒に生活してきた。だから今でも花は格別に好きだ。
子供のころ生家の庭に、花の種を買ってきては、色々と栽培していた。朝顔は毎年育てていたし、球根のチューリップ🌷やヒヤシンスを育てたこともある。どれも新鮮で楽しかった。
おまけで言えば、実家のサツマイモの花も朝顔に似ていてとてもきれいだ。
ベトナムに行っても、この暑い国に咲く花をよく眺めていた。
当たり前なのだが、花の種類も色合いも雰囲気も国によって随分違う。
アフリカの花もまた違う。本当に多様である。
もちろん、日本国内でも地域によって咲く花は違う。
花と言えば、日本人は桜だ。私も桜はとにかく好きで、桜の季節になると、ワクワクするしソワソワする。出来る事ならいつか桜前線とともに日本北上旅行も達成したい。
これは20年以上前から考えてはいることだが、最低1か月の休みが必要なので難しかった。ところが今のような事態を経験すると、ワーケーション兼ねてできそうにも思う。そう考えたら、来年の春あたりはチャンスかもしれない。
毎日のように三宮界隈の花を観賞、観察していると色々なことに気づく。
思いつくままに幾つか書く。
まず改めて気づくのは、やっぱり、花は人間の心の癒しには最高だ。
創造力を高めるために、花がない街や景観、生活を考えてみると分かりやすい。
都会だったら、当たり前のように花屋さんもある。花屋さんの陳列を眺めているだけでも癒される。よくよく眺めていて想う。花がなかったらきっと都会はとても殺風景になるだろう。
ここ最近気づいたのは、外来種が多そうだという事。
これは以前から神戸三宮にあるフラワーロードの花壇を定点観察をしていて思っていたのだが、最近確信に変わった。極寒の冬でも酷暑の夏でも艶やかな花が咲いているのである。
昔はこんなことはなかった。真冬に咲く花はあまり記憶にないし、日本の異常な暑さに耐えれる花も日本の在来種では少ないはずだ。まだまだ、日本在来の植物もこの急激な気候変動には適応はできていないと思う。
きっと、海外からやってきた花が沢山あるように思う。
心なしか、私が海外で見かける花の姿かたちに似て、日本の花らしくないダイナミックなのも見かけるようになった。
日本の花と言えば、やはり、大和なでしこのイメージだ。小さくひっそりと咲くイメージが情緒的でよい。
すでにブログなどでも書いたが、花についてあれこれ考える中、この7月からフロワーロードの一角で、私の会社でスポンサー花壇に参加した。
人間とは不思議なもので、普段何気なく見ていた花壇でも、真剣になると、ますます、この一角の花壇に愛着が出てきた。
自分の子供とまではいかないが、10㎡ぐらいの小さなスペースでもよくよく見ると、花はもちろん、名前も知らない草木が沢山植わっている。これ一つずつを調べるだけでも大変そうだけど、折角なので、自分たちのスポンサー花壇をもっと研究しようと思う。
つらつらと書いてきましたが、最近面白いものを見つけた。
写真を入力すると花の名前やプロフィールを回答してくれる優れもののスマホアプリだ。
昔で言えば花図鑑だ。こんなところのIT活用、健全で何よりと思う。
花も自然の一つ。植物や樹木があっての花。
そもそも、花は人間の観賞のために存在しているのではない。
だからこそ、花を大切にする気持ちは自然を大切にする気持ちと同じだと思う。
私はぜひ勧めたい。大人の方々に花をもっと日常生活に取り入れた方が良いと思う。
まずは花を身近において毎日眺めることから始めてみてはいかがでしょうか?
きっと、新鮮な変化や発見があると思います。
ちなみに、私の次の目標は、花を油絵で描くことです。
以上