これだけ連続して神戸界隈に滞在したのはいつ以来だろうか?
滞在と言っても私は神戸に合計で約36年住んでいる。住み始めたのは大学入学時だから1981年になる。大学卒業後、現場監督をしようと思いゼネコンに就職した4年弱だけが大阪住まいである。
徳島から神戸に来た理由は簡単だ。
高校1年の時、ポートピア博覧会が開催されると知って、農家の次男坊の私は本州に出るのなら神戸と決めていた。
裏を返せば、東京など未知の世界には行きたくなかったのだと思う。
関西は小さいころから訪れたこともあったし、大阪万博も小学校2年の時に行った記憶がある。田舎者で、都会に出るにしても関西と決めていたような気がする。
最初に働きだしたゼネコンを4年弱でやめて、次の就職先は迷ったが、結局は神戸に住めるという条件が最大の魅力で転職先も決めた。
神戸のポートアイランド、つまり先ほどのポートピア博が開催された場所に戻ってきた訳である。
地元の小さな会社に就職して、その次も神戸の小さな会社で働いた。
30歳前には独立を意識していたが、当たり前のように神戸に31歳で会社を設立した。
その時も単純に思っていて神戸に会社を作れば、一生神戸に住んで神戸で働けると思っていた。
創業後も神戸に住んでいたが、創業間もなく東京に毎週出張の日々が始まった。始まったと言っても私は雇われの身ではないので、自らが東京をビジネスの主戦場として選んだのであるが、並行してベトナムに毎月出かけるようになった。先日まで、そういう活動というか生活が20年以上続いていた訳である。
そんな中、昨年には神戸回帰を決めていた。
今はネットで世界がグローバルにつながる時代。ベトナムでもルワンダでもそしてこの先新たに開拓する新興国でも、日本の地方でも私の仕事はどこにいてもできるようになっていた。だからこそ神戸に居ついて活動をしようとしていた矢先に思わぬ事態に遭遇した次第である。
2017年、神戸港開港150年に関するイベントが盛大に開催された。これはこれで私なりにワクワクした。150年前に思いをはせて時間の許す限り、イベント会場などは巡ってみた。
神戸と言えば、神戸港。
しかも国際的に有名な港町である。
日本の他や世界には美しい港町は沢山あるが、私にとって神戸港の風景は何度見ても飽きることがない。最近訪れたストックホルム、シドニー、アムステルダムなどと比べても神戸は世界有数だと今でも思っているし、もっと洗練させていきたいと勝手に思っている。
神戸がいつまでも記憶に残る街となった出来事が阪神淡路大震災だろう。私は地震発生時、ポートアイランドにいた。震源地が淡路島北端なので、直接距離にしたら20㎞ぐらいだと思う。この時の衝撃は今でも体に染みついている。
その後神戸は、復興にまい進した25年だったように思う。
大震災の発生は私が創業した1年後の1995年の1月17日5時46分だった。
先ほど書いたように、自分の会社の経営に必死だった時期で、毎日のようにあちこち奔走して海外での活動が多くなり、震災直後の復興の数年は明確に記憶にあるのだが、その後はどういう復興の過程を歩んだのかを克明には分かっていない。
今回、偶然か必然か、神戸を見て回る時間が沢山出来た。
運動不足解消のために歩くことも目的だったが、
何か所もの震災記念のモニュメントなどを新たに発見した。
ただ、残念に思うのが、あまり目立ったところにない。
色んな意味で後生に残していく必要があると思うし、もっと目立つように観光案内にも入れたらよいと思うのだがどうだろうか?
三宮界隈の花壇も毎日のように眺めた。
結果、会社でスポンサー花壇を始めたが、他の先進的な街と明確に比べたわけではないが、結構隅々まで花の手入れが行き届いていることに感心する毎日だった。それと、季節問わず美しく艶やかな花の種類の多いこと。外来種の存在も意識が始まった。
そうこうしている間に行きついたのは自然を考える、学習するという事だ。街路樹や何気なく生えている草花も含めた自然が都市の構成要素としては欠かせないことに改めて気づいた。自然はとても身近にあったのである。
もう一つの新たな気づきとしては、神戸には銅像が多いような気がする。
こちらも遭遇するたびに写真に収めた。
まだ一つずつ調べたわけではないが、結構歴史的な人もいそうである。
神戸が発祥という記念碑も見つけた。
あと、灯台下暗しというか、私が良くいくポートアイランドの北公園にこの世界の非常事態にびったりのモニュメントを見つけた。
というよりも、気になりだしたのである。
最近は訪れる度に眺めるようになった。
以前からあることは分かっていたはずではあるが、深くは意識したこともなかった。我ながら人間とはつくづく不思議なものである。身近に幾つらでも大切なものやことは沢山あるのだと思う。
書き出したらきりがないのだが、
BeKobeという活動も知った。
コロナ前までは、私はただ単に観光用の装飾ぐらいにしか思っていなかったが、このネーミングに秘められた再生神戸の活動があることも知った。
人が神戸の未来を創る。とういうコンセプトと理解している。素晴らしいと思う。
これからもずっと神戸に居続けるつもりだ。
もちろん、海外には出かけるが、海外に神戸を伝えるのも以前から私の役割だと思っている。
その目的でFacebookページ、LoveLove神戸も立ち上げた。
足元の神戸をもっともっと深く知って、何か一つでも神戸の未来のつながる活動をしようと思っている。
以上