“ひらめく”と言う言葉がある。
降りてくると言う表現を使う人もいる。
有名なアーティストの話でもよく聞く。
人間は誰しもこういう瞬間に頻繁に遭遇していると思う。
しかし、それを記録にするかしないかで人生に大きな影響があると考えている。
記録と言えばメモがすぐ思い浮かぶが、
実際にビジネスで斬新なアイデアや企画を考えられる人と言うのは四六時中メモをとっている。
仕事ができる人はわずかな機会を逃さない。
それだけ“ひらめき”は瞬間蒸発だ。
しかも、“ひらめき”はいつ訪れるかどうかは分からない。
ただ、結果として振り返れば、
自分がどんな状態の時に、降りてきたのかはわかる。
昔、ミッドアルファ波が出ている状態が理想的だと聞いたことがある。ゾーンという人もいる。
おおむねリラックスしている時であるが、それは人によってまちまちである。
私は一番多いのは、明け方。
あとは、自然の中やいつもの道を歩いている時である。
今私は、仕事人生の中でもかつてないほど、毎日文章を書いている。
当然、書く時間の確保も重要なので、効率の良い書き方の試行錯誤を続けている。
最近、色々試しながら考えたことはこんな感じだ。
そもそも、書くという仕事で私にとって何が一番難しいか?
それは、メールでかしこまった文章を書く事である。こちらは、事例集など見て入念に第三者に見てもらいながら書く。
私の場合は、時候の挨拶など定番として頭に染みついていないので大変だ。
一方、毎日のメール、チャット、SNSなどは書く回数は多いが、いずれも時間はほぼかからない。考えることなく無条件反射的に書く。
ところが、ブログやコラムになるとちょっと骨が折れる。
スラスラと書ける良いタイミングや状態で書かないと、わずか1500文字程度でも、やり直しを繰り替えし合計が3時間を超えることも時々ある。
それこそ、“降りてくる”状態であれば、1500文字ぐらいなら10分から15分で書ける。
調子が良い状態では、簡単に言うと、頭に浮かんだ事をそのままタイプしている状態である。
それだけ、書くコンディションは重要であり、無理に書こうとすると迷走する。
そもそも、書く力はどこまで上達するのか?
できるのか?
今の私の考えは、プロの小説家を目指さなければ、
文章は訓練すればそこそこのレベルに上達すると思う。要は、文章は中身が勝負、
だから“ひらめき”を逃さないことが重要となる。
字がへたくそな私には到底できないが、パソコン等がなかった時代は書くと言えば手書きだ。例えば昔の作家などは原稿用紙に小説を書き溜めていく。
出版会社に納品するのも手書き原稿だ。
想像するだけで凄いレベルだと思う。
ワープロやパソコンが登場してからのこの35年ぐらいは、ビジネスで文章を書く人も、本格的な小説を書く人でもパソコンにダイレクトに打ち込む人が多くなったと思う。
私も今まで本や制作や雑誌の寄稿などもやはりパソコンで書いてきた。
ただ、やっぱり思う。
手書きで文章を書くのとデジタル機器を使うのではきっと何かが違うと。
私は手書きの方が五感が働いて“ひらめき”も多そうで、理想だと今でも思っている。
最近は利用者がどんどん広まっているが、音声認識の技術も使えるようになってきた。私の今回のブログは早朝の街を歩きながら音声認識で記録したものが原型だ。
ITの仕事をしている関係もあり、最先端ツールを時々色々と試している。
変換の精度は完璧では無いにしても、日々、AIを含めたこのITの機能がバージョンアップしてることに気づく。
頭に浮かんだものを、音声で吹き込み、それを文章化すると、結局は仕上げるのに時間がかかる。全体の構成が出来ていないのである。
書くと言う事は頭で浮かんだものを文章で記録することになるが、実はダイレクトに書くのと、話したものを翻訳するのとでは微妙に違うことに気づく。このあたりは、もう少し試行してから解明したい。
文章を書くのに、もう一つの方法を書いておく。
それは、代行してもらうことだ。書籍でもライターに書いてもらうこともある。
私も今までの自書の1/3ぐらいの本はライターにお願いしている。これもまた、自分でダイレクトに書くのでは微妙に違う。
一番大事なのは、ライターとの相性であり、いかに一心同体になるかではないだろうか?一緒に“ひらめき”が共有出来たら最高だろう。
以上