これは無理かも……😢
離婚した私は、身の回りの最低限のものだけで実家に戻りました
私の育った家は、建て替えもせず、古いままの築40数年。
25年振りの懐かしい生活は、両親や他の家族に支えられています(詳細は割愛しますごめんなさい)
52歳の娘の世話を80を過ぎた母がしてくれるのです
夕飯はいらないと何度言っても作って置いてあります
私が出かける時には「どこに行くの?帰りは遅いの?」と聞いてきます
それはまるで10代の娘とのやり取りのようで。
お母さん、私一応母親を25年やってきたし、これでも50歳も過ぎましたので
心配には及びませんよ、と何度も言うのですが、
いつくになっても親子なのですね。
出戻ってきた娘を文句一つ言わずに歓迎してくれたことに感謝し、その心配をありがたく受け止めることにしました。
でも、感謝とは別のところで私には両親が嫌いだという根深い思いがあります。
特に父親とは未だにうまく話せません。
耳も遠くなった父親とは尚更、余計に話せません。
私が幼少期、厳しかった父は
毎晩お酒を飲み、くだを巻き
母親と喧嘩になり
(原因はお金か仕事の愚痴)
母親は怒って家を出ていく
取り残された子供たちは父親に当たられまくり、翌日からは食事もままならなくなる。
こんなことの繰り返しでした。
ある日、パチンコ好きな母親は約束の時間になっても帰ってこず、5才の私は一人泣いていました。
言いたいことを言えばわがままだと言われた私はわがままと素直の違いが分からなくなり、別の形で表現するようになりました。
それはものすごい偏食となって現われたのです。
嫌いと言うしか自己表現ができませんでした。
これも嫌い!あれも嫌い!!
母は嫌いなら食べなくてもいいよと私を肯定してくれたのです(と、感じていました)
こうして、言いたいことは言わないけれど、根っこは全く素直じゃない我慢だけしていた私は、この家から出ていけば幸せになれると信じていました。
両親からの支配(と思っていた生活)から脱出したくて結婚したと言っても過言ではありませんでした。
そして、結婚後は偏食は直り、ほとんどのものが食べられるようになったのです!
我慢が美徳というより
我慢していないと過ごせない家庭環境だったように思います。
当時の父親も母親もきっと生活は楽ではなかったはずです。
苦労しながら生活のために働き、お金を稼ぐ。
そりゃあ愚痴のひとつも言いたかったと思います。
でも、それを受け入れるには私はあまりに幼すぎました。
愛情より恐怖が上回った生活は、支配に近く怒られないように静かに過ごすことや
言うことを聞くふりをしていました。
本心とは違うけど、はいと答えないと怒られる。希望を言うことは許されない。
大人になるにつれだんだんと父親のことは嫌いになりました。
そして今でも私は父のことは嫌いです(笑)
母にはちゃんとそう言えるようになりました。
私はお父さんのことが小さい頃から嫌いだし、今でも嫌いだ!😮💨
好きではない父親のことをどうしたら好きになれるのか、思い悩む時もありましたが
今となっては、これはもうどうしようもないと開き直ることにしています。
嫌いだけれど、邪険にはしていません。
ケーキを食べない父にはいつも和菓子を買って帰ります。
先日こんなことがありました。
父が炭酸ジュースが飲みたいと時々言っていたので私は買い物のついでに500ミリのペットボトルを1本買いました。
その時の会話です
「冷蔵庫に入れてあるよ!」
「なん本買ってきたのか?」
「1本だよ」
「なんだ!1本か!!1ケースぐらい買 ってこい!」
「そんな言い方するなら飲まなくてい いよ!なんで私が怒られなくちゃい けないの?」
と私も言い返しました。
ありがとうと言われたくてしたことではないですが、まさかこんなふうに返ってくるとは……
でもそこではたと気が付きました。
本当に優しい気の利く娘なら1ケースぐらい買ってきたのかもしれませんね。
もしくは父なら1ケースぐらいは買ってきたのかも知れません。
父はそういう人なのです。
齢90……
今日も元気にたけのこ掘りに出かけた父の背中を見届けながら、やっぱり嫌いだと再確認した一幕でした。
私に出来ることは父を好きになることでも父を認めることでもなくて
父のことを嫌いな自分を認めることです
そんな私でもいいや、と私が私を許すことです。
父に愛されたいとか(多分充分愛されてました)
父に認めてほしいという問題ではないということにやっと気が付きました。
そこを欲しがっていたから、父を恨んでいたように思います。
どうしてもっと優しくしてくれないのか。
どうして褒めてくれないのか。
なんで私が我慢しないといけないのか。
父親から与えられる言葉にわかりやすい愛情を求めていたのでしょう。
憎まれ口を叩くしか表現の方法を知らないのは父の問題ですが、きっと、父親も寂しい思いをして育ったのでしょう。
そこを分離して考えられるようになった今は、私なりに父親との距離を見つけ
嫌いなままでも楽しく父との時間を過ごしていくことを第一の親孝行だと思っています。