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世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

先日世界遺産の法隆寺やたくさんの史跡がある奈良県の斑鳩町をレンタサイクルで散策した。

 

(写真は法隆寺、法輪寺、法起寺の斑鳩三塔)

 

 

ふと地図を見ると斑鳩町に高安と言う地名があり、気になった。

 

 

 

 

私が住んでいるのも大阪府八尾市にある高安という地域で、何か関わりがあるのかと地図を詳しく見ると斑鳩町高安に「業平橋」と言う橋を見つけてハッとした。この業平橋の業平とはきっと在原業平のことではないか?

 

と言うのも私の地元の河内の高安も伊勢物語の主人公、在原業平のゆかりの地だからだ。

好奇心に突き動かされた私は思わず業平橋まで行ってみた。

 

 

 

 

 

 

橋のたもとには在原業平が大和櫟本から河内高安の女のもとに通った道である事が書かれていた。説明板を見つけ胸がワクワクしてきた私、更に調べて見るとこの斑鳩町の高安集落は、もともと「富の小川村」と呼ばれていたが、在原業平の河内高安通いにちなみ、村人が在原業平の事を忘れまいと高安と名付けた事もわかってきた。

 

しかも、どちらの高安の里にも在原業平に関わる面白い伝承がある。

 

河内高安の伝承は茶屋の娘のもとに通っていた業平が逢瀬の合図にいつも笛を吹いて知らせていたがある日、笛を吹かずに東の窓から娘の家を覗くと、自ら飯を盛り食べているのを見て興醒めして大和へ逃げ帰ったとか、それを知り悲観した娘は渕に身を投げてしまったと言う。以後河内高安の地では東窓を開けると娘の良縁が遠のくと言い伝えられている。河内高安は神立の茶屋辻跡にはそのような説明書きが置かれている。

 

(河内高安の神立にある在原業平に関する説明)

 

 

一方、斑鳩の高安では

業平が河内通いでこの村を通る時に村の美人は、美男の業平に連れて行かれるというので、娘は顔に鍋墨を塗ってわざとみにくい姿にしたという伝説が残されている。

 
恐るべし業平のプレイボーイぶり。

 

 

業平の女通いで、繋がっ高安村が河内と斑鳩にある事を初めて知りワクワクとドキドキが止まらない。しかし驚きの発見はこれだけでは無かった。

 

もっと何か面白い事は無いかとレンタサイクルでで徘徊する私は斑鳩町の隣りの安堵町に迷いこんだ。

 

そこにあったのが安堵町歴史民族資料館。見学して気になったのが伴林光平と言う天誅組の志士、安堵町の医師で儒学者の今村文吾と交流が深く彼の資料も多く展示されていた。天誅組には興味がある私、嬉しい限りでしたが「ふーんこんなところにも天誅組と関わった人がいたのか、“伴林光平”、覚えておこう」と言う程度。しかしこれがまた驚きの結末に繋がるとはこの時は想像だに出来なかった。

 

地元八尾は高安と斑鳩町高安の繋がりを発見した私、喜び勇んで地元に帰り、早速に業平の高安通いの地、神立は茶屋辻跡と玉祖神社に出向いて行った。その玉祖神社前の鳥居の直ぐ前の池のほとりに以前から存在は知ってはいたが内容は確認していなかった石碑があるので、また業平関係の発見があるのではないかと勇んで確認して本当に驚いた。

 

本当にこんな事もあるのかと驚いた。

その石碑にはなんと「伴林光平君の墓」と書かれていた。

 

伴林光平は八尾の教恩寺の住職で玉祖神社前の十三街道を通り大和へ通っていた事にちなみ、この地に墓碑が建てられたと言う。また不思議な縁が繋がった。

 

学びと発見の元は好奇心。

気になる事が有れば現地を歩く。

胸弾む驚きの発見が、次の学びの原動力となっていく事は間違いない。

 

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