ネットやメディアから溢れんばかりの情報が氾濫する現代社会。日々発信された情報の処理に追われる我々の生活の中、やもすると何者かが発信した情報の真偽も検証せず処理に追われ、機械的に処理した情報をガイドラインやマニュアルに当てはめ、新たな情報として発信する事もあってしまいます。
「バカの壁」で有名な養老孟司さんも著書「子どもが心配」(PHP新書)の中で同じような事を危惧されています。養老孟司さんの言葉を借りれば『自分の五感から入ってきたものを「情報化」せず誰かが既に収集した情報をこれ幸いとばかりに重宝する。』となります。
また上記著の対談の中で小児科医であり高次脳機能発達の研究者の高橋孝雄さんは『繰り返し、繰り返し、自分の手で生の情報を感じとっていけば、たとえ患者さんが訴える不調にまだ病名が与えられていなくとも、「何かおかしい」という異変を察知できます。医師の力量を問われるのは、まさにそういう「違和感」に気づくこと。体温が何度だとか、検査値が上昇している、CTに何か映っている、といったデータの処理でもなければ「〇〇症候群」と名づけられている病気にグルーピングすることでもないと思います。実際病名を突き詰めようとすると、そちらに気を取られて診断が表面的・近視眼的になり、逆に背後に潜む重大な問題を見逃す危険があるのです。』と述べられています。
要は、何気ない日常の中で、自ら五感を駆使し情報の収集することが稀薄となるばかりで、言葉や数字には見えぬちょっとした違和感に立ち止まり思考、判断する事がなおざりとなっていく昨今の状況を医師として危惧されています。
教師とて同じ事です。自らの五感を駆使した情報収集(生徒と向き合う経験と時間)の繰り返しが一早い生徒の変調への気づきとなっていくのです。
この発言があればイジメで、こんな傾向があれば精神的に問題だとか、情報を処理してガイドラインに照らし合わす前に違和感として生徒や子ども達の声にならない信号をキャッチ出来なければならないのです。
勿論、二次的な情報の処理能力も大切です。しかし生徒と向き合い自らの五感で判断できる事は、もっと大切な事です。五感を超えた違和感は第六感。ヒトとして持つ高い感性(第六感)を便利さと引き換えに退化させてはならないのです。
昨今の学校現場を見る。
自ら生徒と向き合った経験値も低く、二次的な情報の処理能力だけに長けた者が幅を効かしてはいないだろうか?
二次的な情報処理能力の無い校長や年配の教師がついつい情報処理能力の高さだけが取り柄の教師をチヤホヤしすぎてはいまいか?
養老孟司さんは言う。
「子ども達には虫とりが良い」と虫とりを経験した者には直感でよくわかる。
虫とりをした経験の無い者にはわかるまいが。




