自分のASDも、子ども達のASDも受け入れてなかった。

ネットフリックスで、ASDの子達のデートをする番組を観て、そう思いました。私自身、母親に受け入れてもらえず、「受け入れる」ということがどういう事かもわかりませんでしたが、デートをするASDの当事者や家族(ごく一部だと思いますが)を観ていると、自由だな、自分らしい、家族が子ども達を受け入れてる、そうじゃない親もなんとなく雰囲気でわかる、そしてそういう親の子どもは、親と話すときにイライラしてる、私、全然アスペの事受け入れてない、自分の事も子ども達の事もって思いました。普通にしないと怒られて嫌われて、良くないことだと教え込まれたというか、親なんてそんなもんや、親心やとか、自分の親を見て思っていたけど、やっぱり間違ってたんやなって思いました。また、流されてるんかな。普通じゃないことが、普通なんだと、当たり前のこと受け入れられることが、 どれだけ落ち着くか、気分が楽になるのか、家族って、そういうものなのかなと思いました。支援級には行かせてるけど、それは普通のことが普通に出来ないから、という理由が大きかったけど、子ども達には子ども達の大切な世界があって、軽視されるものじゃないんだと思いました。当たり前やけど、少し学んだ。特別な子には特別な居場所が必要なだけで、それは普通のことなんだと思います。情熱的な性格を私は悪く取り、偏っていて単純で頭が悪い典型だと思ってた。それは特性なんかじゃなくただの悪口だとも分からずに、普通の人より馬鹿なことが、娘の特性なのだと思ってた。息子もどんどんアホになってきて、これじゃあかんなって思ってたけど、違うような気がする。もっと発達が、受け入れられる社会になり、親にも当たり前にそうであってほしい。私もそうならないと。自分の特性も受け入れないとな。頭が悪い、話ができないのが私の特性だと思ってるけど、それは悪口で、特性は、なんやろ?一つのことにハマりやすい、悪いことができない、純粋、情熱的、正直、好きなことには貪欲、真面目、人の気持はわからないけど体調悪くなる程わかろうと努力するところ、貪欲すぎて人が離れていくところ、考えすぎてマイナス思考になり人を遠ざけるところ、気が多いところ、若干異性にモテる(すぐに嫌われるが)、凝り性かな。

娘のことは?また子ども達のことも書きます。