無錫で暮す生活を書きとどめて置きたいと2004年からホテルで書き始めました。
定年後を楽しく過ごした生活が少しはご理解いただけると思います。
現在の中国の躍進と比べて見てください!!
76歳を過ぎるまで働くことが出来ました。
2008年5月記
無錫で暮らしていた時にカメラを持って一番多く訪れたのが
錫恵公園ですね。
私が泊まっていたホテルからタクシーで5,6分で行ける距離でした。
後ろの山がむかしむかし錫が採れた錫山です。
その当時の地名は有錫と言っていたとか?
錫を掘りつくして閉山になり無錫の地名に替わったと聞きます。
市民の皆さんは60歳を越すと無料パスが出るようで、多くの老人が
集まりますね。
私は25元を払って入りましたよ。
広い公園内では色々なグループが活動しています。
小鳥の愛好家が集まって会話をしていたり、その日に会った人たちの様です。
こちらではダンスを踊られています。
こちらでは女性の定年は55歳です。
こちらのグループは太極拳ですね。
太極拳のグループだけでも6組ほどがあちこちでされていましたよ。
久しぶりに阿 炳のお墓に寄りました。
本名は華 彦釣だそうですよ!
盲目の二胡奏者、阿 炳像があり、その後ろにお墓が有ります。
何時もは二胡を持った人たちがこの周辺で演奏していますよ。
滞在中に貴方は日本人か?と問われ、ハイと答えると・・・・
大抵の方が弾きはじめるのは「北国の春」でしたね。
公園ではよく北国の春が聞こえ、中国で親しまれる有名な曲かと思いましたね。
阿 炳が作曲した「二泉映月」は子供の頃に池に映る月を思い出して
作られたと聞きます。
青年になった阿 炳は麻薬におぼれ、失明したのです!!
その池がこれでしたよ!!
天下二泉から流れ出てた水が溜まるこの池だったそうですね。
右側の建物でも良く演奏が行われていました。
2005年8月だったでしょうか?
早朝7時ごろに綺麗な二胡の音色が響き足が向いてここまで来ました。
中学2年生の王 郭霞さんとの出会いでしたね。
中国語が喋れない私は早朝から日本語教師の丁先生に電話を入れて
撮影許可を頂いてカメラを廻しました。
思い出の地でもあるのです。
いつも思うのは二胡奏者のDENさんと日本で出会わなかったら
無錫の地でここまで追求しなかったでしょうね?
これも人の縁ですね!!