パソコンの中を整理していすと懐かしい文章が出て来ました。

無錫で暮す生活を書きとどめて置きたいと2004年からホテルで書き始めました。

かなり古いので参考にはなりませんが、

定年後を楽しく過ごした生活が少しはご理解いただけると思います。

現在の中国の躍進と比べて見てください!!

 

76歳を過ぎるまで働くことが出来ました。ニヤリ

 

                                                                                 2007年記

 

 

無錫のホテルを出たのは朝4時45分でした。

雨と風の中を浦東空港へタクシーは向かいます。

予定通り7時20分に到着してカウンターへ、

隣の福岡便は遅れの表示が張り出されていますが、岡山はなく一安心です。

 

荷物を預けてⅩ線通過でランプが点滅し問題ありで検査室に呼び出しです。

さて何が引っかかったか? 

モニターに黒い大きな映像が見え直ぐに水晶の原石だとわかりました。

係官に水晶と中国語で話しますが発音が悪いのか通用しません・・・・・ショボーン

カバンを開き、梱包した物体を開くようにハサミを渡されました。

一部を開封しますが原石が理解できないみたいです。

ゼスチャーで紙と鉛筆を要求して直ぐに渡してくれました。

「水晶の原石」と書いた紙をわたしますと英語でOKが出ました。

カウンターへ戻り42キロの重量オーバーを告げられ

840元の追加料金を払いに別のカウンターへ行きます。

払い終えてやっと航空券を手にする事が出来ました。

 

電光掲示板に台風接近により

「日本へ向かう航空機は全面遅れます」の表示が出ました。

果たして今日、日本へ戻れるのだろうかと

心配になり娘に国際電話で事情を説明して搭乗口へ向かいました。

予定では9時30分フライトですが時間はわからないと言う。

やっと、10時40分にバスに乗るように案内が表示されました。

ほっとしてバスに乗り込みますが強風です。

 

岡山便は駐機場から飛び立つのですが、

 

 

バスは横づけされましたがドァーが開きません。

機体はゆらゆらと揺れ、

航空機からスチュアデスが顔を覗けますがドァーは開きません。

航空機の傍で45分間待機しますが、一段と風が強くなり

バスがターミナルに逆戻りです。

 

出国手続きをしていますのでバスからは降りられません。ショボーン

ターミナル横に停車しています。

1時間以上バスの中で待機して車内はガラスは曇り温度は上がり、

幼児は鳴き始めますし車内は異様な雰囲気になっています。えーん

またバスは動き始め航空機の傍に着きました。

 

若い女性は心配そうに会話をしていますが、私は至ってのんびりです。

中国のパイロットは軍隊上がりの方が大半と聞いていますので

これぐらいの嵐は飛び立つでしょうと高をくくっています。

11時45分やっとバスのドァーが開き航空機に移るよう指示が出ましたが

かなりの雨と風です。

幼児もいますし大変ですが決行です。

 

あちこちで怖いの声と子供の泣き声が聞こえますが えーんガーン

誘導路を進みます。 

 

11時55分機体を左右に振りながら離陸を始めました。

 

 

私はこれで帰ることが出来と確信しましたね。

 

 

2時間半遅れのフライトですが

飛び立てた事に乗客の間からホッとした会話が聞こえます。

離陸して15分ほどしますと青空が見えるようになり、

 

 

食事が配られ皆さん落ち着いた様子です。

 

このような経験は、

外国ですし説明も十分でなく不安の中での経験はあまり無いでしょうね。

 

 

岡山空港にはいつもの顔ぶれで家族が出迎えてくれました。

国際電話で4回ぐらい連絡していましたので遅延ながら安心して

家族も空港へ来てくれました。

たった2時間、1300キロの距離で大変な事が起きていたなんて嘘みたいですね。

岡山は何もなかった様に青空が広がっていました。

 

2日後に中国の会社から倪さんが岡山本社に出張で来られました。

話を聞きますと同じ日の12時30分の大阪便だったそうですが

欠航になり無錫に戻ったそうです。

私たちの後はANAやJALが飛ぶ予定でしたが欠航になったそうです。

間一髪だったのですね。