パソコンの中を整理していすと懐かしい文章が出て来ました。
無錫で暮す生活を書きとどめて置きたいと、ホテルで書いたものです。
かなり古いので参考にはなりませんが、
定年後を過ごした生活が少しはご理解いただけると思います。
現在の中国の躍進と比べて見てください!!
2007年記
今回の旅の目的は無錫で友人に会うことも大事ですが
日本語コーナーで知り合った孫さんの結婚披露宴に参加することでした。
元日に江蘇省連雲港の旦那さんの故郷で挙式を挙げられました。
当初は連雲港まで行きますよといっていましたが、
無錫から列車の乗り換えも有り6~7時間かかるそうで
言葉の話せない私を故郷まで来ていただくのは冒険だと話され、
私の帰国までに無錫で披露宴をしてくださることになったのです。
1月04日夜の6時18分からの披露宴です。
中国の方は8という数字にこだわります。
ホテルには春節会のポスターが早々と貼られていまして、
10人で888元の費用を大きく書き出しています。
4時過ぎに東林大酒店(ホテル)に出向きました。
暗くなると建物が撮影できないので早めに写しておきました。
O先生がすでにお見えになっていました。
新年のご挨拶をし、日本語交流会が大成功で終わられたことの感謝をお話しました。
4日は中国では仕事始ですよ。
3連休(振り替え代休)でしたから
皆さんは仕事を終えられて会場においでになるのです。
ロビーにあるポスターを皆さんはどの様に感じられますか?
今日の主役、孫 玉花さんです。
芸能人を感じさせる写真と思いませんか?
こちらでの結婚式には派手な写真が必ずあります。
私のホテルでも元日に1日4組の結婚式がありましたが、
私は意地悪く写真とご本人を見比べていました。
写真の修正技術は相当進んでいまして、目を疑うほどで
この方がこの写真の方・・・・・
中国では結婚式3ケ月ほど前からアルバム作りが始まります。
費用も2000元~10000元ほど掛かるそうで大金ですよ。
大卒の初任給が1500元ほどですから
意外だったのは足入れ婚も多いと聞きますね。
最近は男性はマンションが用意できなければ結婚もおぼつか無いと聞くこともあります。
日本語コーナーで孫さんと知り合いになり、
結婚式の映像はお任せくださいと約束をしていましたので
楽しみに無錫へ出かけてきました。
新郎の王さんは詳しく知りませんが当日にお名前をお聞きし、
夜のバトミントン・クラブで2人は出会いったと聞きます。
新郎が一目ぼれをしたところまでは確認しました。
2004年の10月ごろに王さんと一度、城中公園でお会いしました。
軽く挨拶をしただけですが、いそいそとしている孫さんを見たときにピーンと感じました。
今回は友人代表で祝辞を仰せ付けられていまして、
昨日 胡さんと簡単な打ち合わせをしましたが上手く話せるかどうか、
カメラマンの大役もありますし・・・・。
彼女を長く知っている日本人ということで指名があったものだと思います。
胡さんが上手に中国語に翻訳してくださるので安心していますが。
やはり上がってしまいました。カメラを持つと大丈夫なのですがだめですね。
「1分間のお祝いのメッセージをください」とメモ用紙に書いていただき
カメラを持って会場を歩きますが、
今夜は日本語が話せる方がかなりいまして楽でした。
新郎と新婦のそれぞれの友人が当日は世話役をしてくれます。
各テーブルを新郎新婦が廻るときは乾杯が続きますが、
返杯の飲み役は友人がするのです。
前回見たのは返杯役が酔っ払って目がうつろでしたね!
中国の結婚式は普段着で出席できますよ!
大半の皆さんは100元~200元のお祝いで自分の食事代程度とお聞きしています、
そして祝儀袋は真っ赤な袋です。
ロビーで出迎えてくれる新郎、新婦に直接に祝儀を渡します。
最初に司会者が進行し祝辞やケーキカットがあり10分ほど続き、
後は食べたり、飲んだりで時間を過ごします。
終わりの挨拶もなく・・・・・
小さな引き出物が配られ始めますと三々五々に皆さんは引き上げていきます。
ショー化した日本の結婚式とかなり違います。
今回は無錫の友人中心の披露宴でしたから100人ほどでしょうか、
結婚式になりますと300人~500人とすごい人です。
一人や二人紛れ込んでも判らないと思いますよ。
招待者にお父さんの同級生、お母さんの同級生までいますので。
なぜこの様なことが私に判るかと・・・・・。
前回、撮影した朱さんの結婚式で適当に年齢を考えて撮影しました。
後でホテルに来ていただきお名前を映像に入れようと、2人に見ていただき判ったのです。
親族や故郷の人を大事にするのがよくわかりました。
お土産で約束をしていた焼き栗も3キロ買いましたし、
ホテルに戻り荷物をまとめれば明日の帰国準備はOKです。
気になるのは早朝の霧です、
大きな太湖から霧が発生しますので、冬場は霧の街・無錫ですよ。
高速が封鎖されますと3時半にホテルを出発するようになります。
0時ごろ窓の外を見ると霧が出始めています、ヤバイと思いながらベットの中へ
3時に起床の電話が入りません、もうひと寝入りできそうです。
今回は無錫市内だけで生活しましたが、
また数人の新しい友達もできました。次回は3月中旬から1ケ月半の仕事での
滞在になるので楽しみです。