パソコンの中を整理していすと懐かしい文章が出て来ました。
無錫で暮す生活を書きとどめて置きたいと、ホテルで書いたものです。
かなり古いので参考にはなりませんが、
定年後を過ごした生活が少しはご理解いただけると思います。
現在の中国の躍進と比べて見てください!!
2006年記
スムーズに走り6時半ごろに無錫の美麗都(Meilidou)大酒店に到着です。
フロントの人達とは顔なじみでお久しぶりと日本語でお互いに会話しました。
フロントの方からは日本人の皆さんは帰国しているのに
近ちゃんはなぜ無錫へと聞かれましたね(笑)
706号室、7階の裏側の部屋に決まりました。
道路側は騒音でやかましく、いつも偶数部屋の裏側をお願いしていますので
判っていただけているのです。
パソコンをつなぎパスワードを入れて、100ボルト変換のトランスを繋ぎ完了です。
その後は無錫の夜の街に出かけます。
丁先生が八百伴の前で待っていてくれました。
二人で火鍋を食べに行き3ヶ月振りの再会をビールで乾杯しました。
夜は無錫の方が少し寒いですね、
29日は9時ごろにホテルを出て会社に向かいました。
会話で通じなければとメモも書いて持参しています。
タクシーの運転手に新区と話し、ボッシュ社(ドイツ)を右と話して大体わかったようです。
中国語が通じるとホッとしますよ。
ボッシュ社はドイツの会社で自動車部品、電装品を作る世界の大手です。
投資額が700億円と聞きました。
その隣の小さな会社が私の行ところです。
18000平方の土地で、工場が4000平方ほどでしょうか。
日本では広いでしょうが無錫新区ではかなり小さな会社です。
昨年にここに移転しまして、ことし右側の工場を完成しました。
大手企業の呼びかけで中国へ進出し、100%日本の会社です。
現在は従業員は75人ほどと聞きます。
仕事の内容は焼結合金の金型を製作し日系企業に納品しています。
皆さんは焼結合金をご存じないでしょうね。
金型の中に鉄の粉(10ミクロン)を圧縮して入れて形を作り、
あと焼き固めて部品が完成です。
自動車部品はこのようにしてコストダウンをしてきました。
ほとんどの製品は後加工が入りません。
資本金に応じて工場の広さが決まり、国から土地がもらえます(50年間の使用権)
50年後は更地にして返すと契約書はなっているそうですが、
50年後には本当に工場を壊さなければいけないのでしょうか?
多分再契約で高くお金を取るのではないかと想像しています。
共産主義のわからないところですね。
今年は4月に1日だけ訪れましたが、
久しぶりに会う工場の仲間ですが知っている顔ぶれが半分ぐらいです。
3交代をしているようで新入社員の顔が多く見うけられます。
1月に研修生で来る顧君に案内してもらい新工場へ入ってみました。
建屋が完成して事務部門が仕事をしているだけで工場の移動はこれからのようです。
2月に持ち込む機械の打ち合わせをして昼食をご馳走になり退社しました。
ホテルへ戻りその後は南禅寺の蔡さんの店に出かけました。
蔡さんが「コンドさん今日は」と笑顔で迎えてくれました。
奥さんの胡さんも元気そうです。
お土産を渡し、刺繍画の主人に頼まれていたデジカメを渡しました。
私の1000万画素カメラを見て交換して欲しいと言われますが
中国語がないと説明すると簡単に引き下がりました。
皆さんお金持ちですね!
蔡さんから夕食を一緒に食べようと薦められるが今日は先約があるとお断りして
1月1日の夜を約束しました。
日本人の岡崎さんと? 食事をしましょうと話していますが私は知らない人です。
胡 さんと会う約束をしていまして職場近くの五愛路までタクシーを拾います。
退勤時間で人のラッシュに合い、車が進みません。
3年前に比べて電動自転車の多いこと、
自転車の半分ぐらいの方は電動自転車を利用していますね。
日本で本田のスーパーカブが売れた昭和の時代と同じでしょうか。
45年ほど前ですね。