私が車の免許を取ったのは昭和34年(1954年)でしたね。

ハンドルを握って65年が過ぎましたよ。

世の中は自転車全盛の時代で、長い電柱を運ぶのは馬車でした!(笑)

トラックでは長すぎたのです。びっくり

 

自転車から一気に売れたのがこれでしたね!

 

 

私が免許を取る前で発売は1952年、価格は確か54800円だったと記憶しています。

勿論、手が届かない価格ですが早く乗りたいと思いましたね。

 

ハイ、現在でもこのカタログは所持していますよ。ウインク

 

この様な車は見たことが無いでしょうね?

三菱500で空冷エンジンでした。

困ったのはチェンジが横Hでして、縦Hが主力でしたから

時々ガァガァと鳴らして乗っていましたね。

大阪で暮らした3年間は、課長が免許の無いのに購入されて

私が運転手で良くのさせて貰いました。

 

 

 

私が車を手に入れたのは22歳で中古のスバルでした。

確か13万円でした。

油は混合油と言うのが有りまして2サイクルはこの油を入れましたよ。

 

 

ドァー内張はなく、軽くて良走りました。

新車で36万円程だったと思います。

安いですか?

当時の給金では夢の夢でしたね。

 

マツダから初の乗用車がこの軽四で2+2で後ろは子供しか乗れない

狭いシートでしたが売れましたよ。

これは32万円ぐらいでしたか?

 

 

岡山へ戻り

町工場で働きベアリング・シールの金型を製作していましたが

私は下手間で働く時代でした。

 

30歳の頃だったでしょうか?

親会社の営業部長さんが来られて、この仕事を貰って来たと言われ

見せられたのは初代カローラのエンジン・パッキンでしたね。

 

 

オイル漏れを止めることが前提で頂いて来たと・・・・

当時の工場に汎用旋盤、セーパー、小型フライス盤しか有りません。

これで何とか曲線を繋いで完成しました。

親会社の設計が良かったので見事にオイル漏れが止まったと聞きます。

ここから車関係の仕事が主で頑張れましたね。

 

それから新しい機械を次々に入れて

エンジン周りのパッキン製作金型開発が始まりましたよ。ニコニコ

 

世の中はエンジンからEV自動車に換わろうとしていますが

私には油にまみれて数値制御で動く工作機械に早く触れ

車の進化と共に汗を流して取り組んだ定年までだったと思っています。

好きな車だから頑張れたのかも知れません。

 

今も若いころに集めた車カタログを大事に保管していますよ!!