パソコンの中を整理していすと懐かしい文章が出て来ました。
無錫で暮す生活を書きとどめて置きたいと、ホテルで書いたものです。
かなり古いので参考にはなりませんが、
定年後を過ごした生活が少しはご理解いただけると思います。
少しづつ連載していきたいと思います。
現在の中国の躍進と比べて見てください!!
2006年記
北京空港を離陸したのは7時半です。
フライトは1時間半ほど掛かると思います。
6時間を北京で遊んだ為に疲れて熟睡しているともう銀川です。
銀川空港の照明以外はまったく明かりなし、
そうですね、前回訪れて知っていますが砂漠の中の空港ですから。
工場長のかみなりさん(雷さん)が空港で出迎えてくれました。
高速道路を走りホテルに着いたのが10時前です。
T君が車の中で一言、申し訳ありませんと、
今回はどこのホテルも満室で2ッ星のホテルしか予約が取れていませんと・・・・
良いですよ横になって雨風が凌げればと私は言っていました。
フロントでチェクインすると1泊160元です。
外観はいいし、安いねとニコニコ顔の近ちゃんでしたが・・・・・・
部屋に入ってバスルームへ、お湯がチョチロしか出ない困ったな
9月の銀川は夜が冷えてきます、窓を見ると開いている、
閉めようとするが10センチほどは閉まらない・・・
もうそろそろと30分経ってバスルームを覗きますが
お湯は10センチほどしか入っていない。
諦めて、一晩ぐらいはと
さすが160元の価値しかないと思い直してベットに入った。
しばらくして(午前2時)ホテルの外で女性の泣く声が聞こえる。
窓から覗くと公園に男性1人と女性が2人立っているが、
当時のこんちゃんには中国語はまったく理解できない。
大変なホテルに泊まったと後悔しながら、
30分以上泣き声は続いていたでしょうかその内に眠りについたようです。
名古屋のホテルを出たのは5時半ですから、長い一日に成りましたね。