皆さんに百間川とお話してもご存じないですよね。
文字の通りに川幅が百間(180㍍)あるそうですよ。
江戸時代に手堀で作られた人工の川で岡山の街を守るために作られたそうです。
本流の旭川から大水になると堰を超えて自然放水するのですが
その分岐点を見たことが無く寄ってみたのです。
昔は石垣で堰堤が作られていたのでしょうか?
現在は全てで橋が渡されていますが、昔は洪水が出ないときは
川を横切る道がありよく利用していました。
以前から分岐点を見てみたいと思っていましたが見る機会が無かったのです。
陽明学者の熊沢蕃山が考え出したそうですね。
詳しくは下記を覗いて見てください。
この道を通ることが少ないのでチャンスが無かったのですが
これで納得しました。
旭川の堤防をもう少し進みますと、もう一つ気になっていたことが
目の前に広がりました。
何時もは対岸の堤防を通行するのですが白くなった樹ですよ!
お判りでしょうか?
川鵜がここに住みついて40年ほどに成りますか?
最初は1本の樹が白くなりかけたのですが、今は・・・・
川鵜の住処に成って糞によって枯れた木々ですよ!
夕方になると木が黒くなるほど帰ってきてここで過ごすのですよ。
対岸からは遠いので詳しく見えなかったのですが
ここからは目の前ですよ!
川鵜は糞の被害のほかに潜水が得意ですから川魚を捕るのに優れていて
鮎なだの被害が多いとか繁殖も凄いですね。
私も2つの疑問が解けて、気持ちよくハンドルを握って我が家につきました。