次の日曜日に日本語コーナーへ出かけてました。熱心でしょう?
いいえ、当時は心弾ませて無錫に来たものですが、休日になると独りぼっちで寂しい日々でした。
日本語コーナーに出かけると思い切り日本語で話せ、青年からは日本の様子を教えて欲しいの質問が多く得意げに話していたと思います。
阿炳の話をだすと、公園の隣に住んでいた家がありますよと教えてくれたのです。
このときはすでに工事は始まっていましたね。
現在は阿炳会館に変わっていますが、まだ生活の臭いが残る住宅でした。
この家から街中へ二胡を持ち、日本流に言えば「流し」をしながら生活費を稼いでいたそうですね。
無錫の中心地にあります。
「二泉映月」の題名も後から付けられたと聞きます、
日本語の老師(先生)が錫恵公園にある阿炳のお墓を案内すると親切に言ってくださった。
当時のお墓はエッこの様なところに?人があまり訪れそうも無い雰囲気でした。
後日の休みに訪れました。夏でしたから朝の8時ごろです、今回は一人でゆっくりと撮影をしたいと訪れたのです。
先客がいまして、「早上好」と挨拶してビデオカメラを取り出すと2人も演奏の用意を始めた。
どうも私のために演奏してくれる様です。
演奏してくれた曲はもちろん「二泉映月」で一生懸命に弾いてくださったのですが、上手だとは言えなかったですが気持ちは頂きました。
いつもここで練習をされているようで早く阿炳の様に上手になりたいと言っていたようです?
当時の近ちゃんは日本語コーナーの仲間に助けられて中国語をまったく覚えようとしなかったのです。
現在のお墓は改装され綺麗に成り、二泉広場が出来まして多くの人がダンスなどで楽しく時間を過ごされていますね。