『志ん朝と上方』 岡本和明 著

帯には・・・・



上方をこよなく愛した名人を、名人が語る。

「大阪は好きです。というのはね、東京ってえのはね、もうなんか、こう日本の匂いがそれこそだんだんなくなってきちゃってね。こっちへ来ると、ほっとするんですよ」(古今亭志ん朝)

 三代目古今亭志ん朝は、江戸前の咄家のなかで、もっとも大阪を訪れ、しかも、大阪の咄家に、芸人に、客に、もっとも愛された咄家である。志ん朝自身も、大阪という街をこよなく愛していた。その志ん朝が上方で見せた話芸、東京では見られなかった素顔を、ゆかりの深い上方の名人たちが語りつくす。

「咄家が惚れこむってのは、この人のことなんやろうなあ」(三代目桂春團治)

「サービス精神が旺盛なんです。だから大阪では少~しオーバーにやってはります」(笑福亭仁鶴)

「人情噺を力まずにやれるというのがうらやましかった」(露の五郎兵衛)

「色っぽい咄家さんだったから、ネタにも色気がありました」(内海英華)

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 2008年に出版された本。「新刊で買うまでもないか」と判断し、やっと古書店経由で入手した。岡本和明に関しては、志ん生に関しても著作があるらしいが手にしたことはない。本のサイズにしては、空きが多く、読む個所が少ない。また、インタビューの仕方が全くなっていない。三代目。仁鶴(本来なら六代目が適任者なのだろうが、鬼籍に入ってしまっておられるので仕方が無い)、五郎兵衛、内海英華という人選はどうやって選んだのだろう?

 志ん朝が、大阪で演じていたことはわかった。では、どのような点が受けていたのか?なぜ?他の東京の噺家が受けないのに志ん朝は受けたのか?そのような点をもっと立ち行って探った方がよかったろうなぁ。また、四師匠方への質問も変わった内容ではなく、みな、同じような内容・・・。

 結局、何を書きたかったのか?さっぱりわからない本だった。

 ただ、言えるのは名人と言われた文楽や圓生などは志ん朝には太刀打ち出来なかったろうという点と先達て亡くなった談志よりも志ん朝が上手かったし、受けた。談志は枕が執拗だったし、長過ぎた。文楽は登場人物の演じ分けがなっていないし、圓生は「・・・しぃ~しぃ~」が気になるし、そこへいくと関西人でも「志ん生」「志ん朝」は滑稽噺として受けないはずが無い。また、志ん朝の兄の馬生は味が違って人情噺を演じきれる噺家であった。


現正蔵造や現三平などの一家とは内容も芸も違う・・・・・。