やりたいことが分からない
20代の若い頃、「やりたいことが分からない」状態が長く続きました。
大学を卒業して社会人となり、金銭的に余裕ができたので、華道を習いました。
…が、しばらくすると飽きてしまい、華道セットはホコリを被ったままになりました。
次に、籐芸教室に通いました。
編んでいる時は楽しいのですが、2、3点作品を仕上げた途端、興味を失いました。
次は、テニス教室に通いました。
ひたすらボールを追いかけるのに疲れ果て、ラケットは処分しました。
その次は、とある有名なお料理教室に通いました。
5、6人でグループを作り、何品かお料理します。
が、どのグループに行っても、必ず仕切りたがりの女子がメイン料理の調理を独占し、ふと気が付けば私は洗い物担当になっていたので、コース終了後はそれっきりになりました。
…と、まだまだ他にも書ききれないほどの「つまみ食い」で終わった趣味があります笑
段々、「お金が掛かるだけで、もったいないし、一つのことを続けられないワタシってカッコ悪いな〜」と、自分で自分がイヤになりました。
それから長い時間が経ち…
やっと、この「手当たり次第につまみ食いグセ」の原因が分かりました。
やりたいことをやってはいけない
エリック・バーンの「人生脚本」の中に、「ドライバー」と「禁止令」があります。
人生脚本とは、「人は、自分で描いたシナリオ通りの人生を送る」というものです。
ドライバーは、「○○しなければいけない」で、禁止令は「○○してはいけない」です。
私は、「やりたいことをやってはいけない」という禁止令にがんじがらめに自分で自分を縛り付けていました。
やりたいことをやろうとすると、強烈な罪悪感に襲われてしまうのです。
そのため、大して興味もないものに手当たり次第に手を出しては、短期間でギブアップする、を繰り返していました。
そうなった原因は、母から
・やりたくないお稽古ごと
・やりたくない勉強
を、強要され続けたことです。
いつの間にか、
「やりたいことをやってはいけない。やりたくないことでもガマンしてやらなければいけない」
が、スタンダードになってしまっていたのです。
しかし、このところようやく、「やりたいことをやっても良いんだ」と、罪悪感に捉われなくなりました。
「やりたいことをやってはいけない」という禁止令から解放されたのです。
最近、ボタニカルアート🍃を始めました。
昔の私の「つまみ食いグセ」を知っている家族からは、「どうせ、またすぐに飽きるよ」と思われているようです💦
しかし、以前の自分とは違うな、と思うことがあります。
それは、「長い目で見て、段々上達して行けば良い」「回数を重ねる内に、上手くなっていくだろう」と、ロングスパンで考えられるようになったことです。
趣味をつまみ食いしていた時期は、「すぐに上達しなきゃイヤ!」と思っていました。
当然、そんなにすぐ上達するものはありません。
それが、今は「上達する過程を楽しむ」余裕が出てきました。
この余裕は、自分を信じることで生まれます。
趣味をつまみ食いしていた時期は、「結果が出ない」=「自分には向いていない!」と、あっさりバッサリ切り捨てていました。
今思えば、この切り捨てグセも、自分に対する自信の無さから生まれていたようです。
皆さんも、一つのことが続かない悩み、やりたいことが分からない悩みがあったら、「やりたいことをやってはいけない」禁止令に縛られていないか、自分に問いかけて見てくださいね。
もしかしたら、生涯にわたって楽しませてくれる趣味に出会うかも知れません。