あれから26年
そう、今日は阪神淡路大震災が起こった日です。
忘れもしない、5時46分。
京都にいましたが、かなり揺れました。
しかも、風圧みたいなブワッてあってドーングラグラグラ。早朝で寝てました。起きあがろうとしたけど無理。横に妹が寝ていて起こそうにも起こせない。布団を頭に被って揺れが収まるのを待つ。そんな感じでした。
起きてリビングに行ったら母親が水屋を押さえてました。
母親に「倒れてきたら下敷きになるからやめて!」
とりあえず、机の下に隠れて頭を守ることを言いました。
「だって、倒れたら大変やん、扉全部開いたし」
呑気にそんな会話をしてました。
テレビをつけたら強い揺れの地震があったニュースが流れていて、まだまだ全貌は明らかにはなってませんでした。
だんだん夜が明けるにつれて、凄い映像が流れてきて神戸が大変なことになっていることがわかりました。
7時くらいに電車はまだ走っていて遅れてなくて出勤しました。あの時は会社は8時からで7時半までに行かなくてはいけませんでした。会社に着いたら、同期はきてるけど、他の人は全然来てませんでした。
住宅部材の工場の倉庫の材木が崩れていたぐらいでそんなに被害はありませんでした。
しかし、取引先はかなりの被害を受けているところもあって、テント屋さんからブルーシートを大量に取り寄せたりして被災地に送りました。
色んなもの救援物資で送る手筈をして、仕事どころじゃなかった覚えがあります。
未曾有の災害がわかったのは暫くたってから、知り合いと連絡取れない、電話が通じないとそんな話題で持ちきりでした。
都市型の直下型地震の恐ろしさを思い知った出来事でした。
コロナ禍になって、ボランティア活動が思うようにできなくなって、PCR検査の助成とか、被災地にボランティアの人が新型コロナに罹らない、うつさないようにするキャンピングカーを運用して被災地に入るようにするなど工夫するようになったようです。
コロナ禍の災害をどう乗り切るか、最大の今の課題でもあります。
災害はある日突然きます。南海トラフもいつくるかわかりません。
こういった、メモリアルデーだけでも思い出して考えていかないといけないことだと思います。
では、また