木曜日、祖母が亡くなり、

お通夜とお葬式の為、地元に帰省をしていました。

 

 

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折しも、桜満開の季節。

 

お花好きだったおばあちゃん。

西行の歌にある、「春、桜のものにて・・・」

おばあちゃんが叶えてしまうなんてね。

 

100歳を迎えて、5日後に旅立ち、

具合が悪くなってからは、ちょうど1日だったそう。

 

本当にあっという間に、

さっとこの世を去っていきました。

 

母の悲しみを思うと、どれほどのものだろうと思うし、

机の上に置いてあった、精神安定剤を見ると、

どうにかして、お葬式や、みんながいる間は

元気に過ごそうとしているだろうな。

 

そして、私は京都に戻ってきたわけだけれど。

 

 

祖母は、とても強く、優しい人で、

祖母の愚痴を聞いた人は誰もいなくて、

母も一度も怒られたことがないそうです。

 

祖父と一緒に、第二次大戦下に朝鮮に行き、

敗戦で帰国する途中、母の姉を栄養失調で亡くし、

母は引き揚げ船の中で生まれ。

 

その後生まれた弟3人のうち、

一人に脳性麻痺の障害があり、当時は、座敷牢のような

別棟で生活をしていたそうで、最終的には亡くなり、

その影響でか、祖母は一度だけ鬱になったことがあるそうです。

 

もう一人の弟は、ギャンブルと借金の癖が直らず、

最終的には親子の縁を切りました。

 

 

祖父は、大きな酒蔵の息子で、

箸以上に重たいものをもったことがないそうで、

そんな祖父の介護は、とても大変だったと思います。

 

でも、祖父が亡くなったあと、

祖母の第3(くらい)の人生がはじまり、

習い事や、交流や、好きなことばかりをする人生で、

幸せだったみたいです。

 

最後の15年くらいは、病院暮らしで、

どんな気持ちだったかは分からないけれど、

病院でも、人気者だったそうです。

 

 

お葬式では、普段は集まらない人たちが集まり、

従兄弟たちとも、何十年ぶりかに再会しました。

 

家では、母と姉と姪っこと私で、一緒にテレビをみたり、

くだらない、いろんな話をしたりして、

ああ、とても楽しかったな。

 

おばあちゃん、ありがとう。

母のことを、どうぞお見守りください。

 

 

お遍路のときにいただいていた六文銭、

棺の中に、そっと忍ばせておきました。

 

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信心深かった祖母。
私に会ったときは、いつも手を合わせて
祈ってくれていました。
 
お通夜のとき、住職様がお聴かせくださったお話、
「散る桜 残る桜も 散る桜」
 
良寛さんの辞世の句だったんだな。
 
生きれば、死ぬ。
祖母も、母も、私も。
 
それでもやっぱり、別れは寂しいな。