4月18日(木)に自分がアップした“T君の夢”という文を読み返しました。
T君って誰だっけ?と思ったからでしたが、
その夢の後にお爺との会話を書いていました。
今となっては、こっちの会話こそ大事です。
残しておきたいので抜き書きします。
2020年8月15日「T君の夢」
13日朝5時前の夢です。車に乗っている処から始まります。
車の前方右手からT安君が凶器を持って迫ってきました。
最初、凶器を持っていることが理解できませんでしたが、
ドアを開けられる寸前にロックを掛けました。
運転席の私にロックされたので助手席に回り込みました。
助手席は男性で、たぶん、お爺です。
ドアを開けられてしまい、お爺は必死にドアを閉めようとしています。
ドアの隙間に指を突っ込んでいます。
私は手を伸ばし、ドアを閉めるのを助けると、痛さで指を引っ込めました。
その隙にドアを閉め、ロックを掛けました。
しかし、ここにいては危険なので逃げようとします。
場面が変わって、登山道の入り口にいます。
見上げると岩山で、道にも岩がゴロゴロしています。
登り始めて5分くらいの処に別荘のような建物があり休憩ができます。
追記:今思うと、四国霊場45番の途中のミニ広場に似ています。
そこに辿り着き、下を見降ろして、お爺とお婆が昇ってくるのを眺めています。
お爺、お婆、もう少しだから頑張って!と思っています。
…え?…なに?…どうしてこんなことをさせているの?というアイデアが湧いてきました。
二人共、とても階段を登らせられる体力も筋力もないのです。
それなのに少なくとも5階建てくらいの高さまで登らせているのです。
追記:45番札所の方が遥かにキツイ山登りです。
ここから上がどのくらいあるのか分かりません。
追記:45番札所だとゴールまでは後一息です。
下に降りた方がいいのですが、下りの方が危険です。
二人共、私に言われ素直に登ってきているのです。
どうしよう!一人で二人を降ろせない!
他の家族もいない!
とにかく、この家で休ませよう…と思い、家の中の座れるところを探します。
そこに家の持ち主らしい方がやってきました。
どうやら勝手に入り込んでしまったということらしいのです。
なんだって!と思うけれど、とにかく、すぐに出ていけません。
まずは二人を休ませなければと思いました。
家主の方が家に入って来た処にさっと走り出て、どけ座しようと考えました。
こちらは見ず知らずの人の家に不法侵入している立場です。
あとは、相手の情けにすがるしかないと考えました。
頼み込むしかないと考えながら、入り口に向かっているところまで覚えています。
追記:この時の感情は思い出せます。本気で土下座する氣でした。
お爺と8月11日(火)の夜に、お爺が4、5歳頃に田舎の本家に行った話をしました。
この2、3週間前に初めて聞いた話でした。
お爺はかなり知的に高いことは分かっていたけれど、まさか認知症もあるのに、
4、5歳の記憶を話し始めるとは思わなかったのです。
今までに一度もしたことのない話でした。
でも、それによって、ルーツ調査をしていた私の疑問が晴れたのでした。
お爺グジョブ!
で、山登りは精神的な向上を象徴する時もあるので、
私がお爺とお婆の精神性を引き上げているという夢なのかもと思いました。
追記:今読んでも恐れ多いですがそう思います。
お爺は、自分のルーツを知っていたのに、
80年以上もの間、誰とも話していなかったのでしょう。
私が思い切って切り出したことと、
認知症もあってガードが緩くなったのかもしれません。
初めて、口にしたのです。
追記:「顔が似ている!」と即座に言ったのです。
この言葉にして発するというのは、とても心の奥深くに影響します。
お爺の精神的な領域は、大きく動いたはずです。
追記:お爺は私の話を聞いた後、黙ってしまいました。
何を思ったのでしょうね。
この夢はそれを示唆していたのかもしれません。
追記:お爺ではなく私ですよね。
上の文は間違いですが、お爺の心も大きく動いたのは確かでしょう。
まあ、分析はあまり意味がないので、この辺でいっか。
なぜなら、私自身の内面が凄く動いているので、精神的に静かにしていたいのです。
以上が以前の文章です。
お爺が本家に行ったのは5歳になる前だと思います。
6歳になってすぐに引っ越していますから、1年以上は前のはずなのです。
私はお爺にルーツの話をしたことを良かったと思っていました。
でも話した時期が20年9~10月だと思っていたのです。
8月に記録を残していたのですね。
自分グッジョブ❤
最晩年のお爺は静かでした。
認知症のせいもあるのでしょうが、日々を淡々と暮らしていました。
以前は文句の多い人だったのに静かでした。
お爺との最晩年の数年間は私にとってはいい想い出なのです。
まともに話ができた・・・そんな数年間でした。
私はこの3年ずっと繰り返し、両親との日々を思い起こしています。
その中でも、この時の光景はヒットクラスのことなのでした。
ブログの中に埋もれないでよかった。
ではでは。