型に固執しない氣づき | どんぐりの小径

どんぐりの小径

徒然に気まぐれに

週末にボランティアで行った茶道で得た氣づきをメモします。

そこは、障碍者施設なので、茶道を本格的に習う場ではありません。

ちょっとお菓子とお抹茶を飲んで静かな時間を

集まったみんなで過ごしてみる・・・そんな空間の小一時間です。

 

私が氣づいたのはメンバーの石田さんと自分の関係です。

毎回と言っていいくらいお菓子とお茶が好きで出席してくれます。

でも、石田さんは何年も参加してくれていますがお点前の手順を覚えません。

 

ふぃに私は石田さんなりのお点前の仕方を確立すればいいのだという事に氣が付いたのです。

茶道のやり方に嵌めるために彼を直そうとしてはいけないのだと言うことです。

彼には彼独自の個性があって、何年も参加してきたことで

彼なりに手順が決まりつつあるんだって氣が付いたんです。

 

それでいいんだ!

彼と私との間で起きている交流が、気持ちよくお互いがそこに“あり”続けた果ての形として、

あのようなお点前になって顕われているんだと思えたのでした。

 

これは私にとっては大発見です。

今朝、行をしながらそのことを反芻していました。

私の最初の師匠であった二藤先生のお持ちだった“みだれ”という資格は

こういうことだったのかもしれないと思い至りました。

 

それは歌舞伎でいう型を破るに通じるのではないかと・・・。

私のような若輩者が語るのは本気で本当におこがましいことです。

世に出せる発言じゃないですね。

でも、まぁ、ここはメモですから。自分のために書きます。

 

もう一つメモします。

一番熱心で用意も一人でしてくれる頼りになる方が

最後の挨拶の時「お点前を覚えていられなかった」と言いました。

 

私は「どこか間違えた?ちゃんとやっていましたよ。

ぼんやりしてたなら、それでも体は勝手に動いていたってことでしょう。

それは身に付いたってことですよ。自分にもっと自信を持って下さい」と言いました。

 

彼らにとって自信を持つという事は凄くハードルが高いことだと思うのです。

“あなたは出来ていますよ”とか“自信を持っていいんです”と

いう言葉は魔法の言葉だと思います。

 

人が自分を認めてくれたと思うことは先に進むためにとっても力になるのです。

それは私自身がそういう経験をしているので実感として思います。

褒めて育てるは本当に大事なんです。

 

「褒めるといい気になる」とか「付け上がるから駄目だ」と言う方もおられますでしょう。

確かにそういうタイプの人がいます。

だから、一概には言い切れないですが、そこは指導する方の力量でしょうね。

生徒さんを見分ける力が必要でしょう。

まぁ、そういう話はどうでもいっか。

 

私にとってとても良い学びの体験でした。

その場にいてくれたみなさん、ありがとうごさいました。

ではでは。