父の生体検査を受けて、さらなる治療をするかどうかを迫られる。


悩んだあげく、私は数ヶ月の延命のために、1%でも副作用のある抗がん剤治療を

しないと決めた。


家族のお見舞いに言葉も笑顔もなく、無表情でただ口に

食料を放り込まれている、周りの患者さんをみての私の結論です。


余命三ヶ月と言われ、食事に合わせて、毎日病院に通い詰めています。

担当医や看護師よりつぶさに父の様子をみてきました。


私との会話とその内容、手足の動き、食欲と食事の嗜好の変化、

舌の動きとしゃべり具合、目の表情、トイレの様子、甘えと無理難題、

看護師さんへのユーモア・・・・


「こんな日が一日でも長く続くのがいいな、その先に死があっても」

どうせ死ぬのなら人間らしい姿を見せ続けて逝くことを父は望んで

いるはず。というより、父は立って歩くことをまだあきらめていない。


抗がん治療を薬と医師に任せ、徐々に弱って「、生ける屍」となっていく

父をみたくはありません。


抗がん治療をしないことは、生身の父と向き合い続けることです。

余命宣告を受けたときから、寄り添いみおくるという決意

を固めています。


ソクラテスは

「ただ生きるのではなく、より善く生きること」と言っています。

主旨は違いますが、

いま私はその言葉を父にあてはめて考えています。



写真は両親と巡った八十八か寺のひとつです。