立花涼氏の「『内藤湖南研究会』への公開質問」への私的な回答(その3)
・・・・「いつか来た道」・・・批判的主体の位置
山田 伸吾
3、「色眼鏡」で見れば読解力も失われる、ということ
これまで『公開質問』の基本的立場に対して批判を展開してきた。おそらくは反論としてはこれで十分なのであるが、基本視座についての批判は立花氏に届くことはないだろう。
意図的に、確信犯として、政治主義的批判位置に立っているのだろうから。
そこで誰もが承認せざるをえない、立花氏の「誤読」あげつらって具体的に彼の揚げ足をとることにする。
まず、(P8)に湖南の「無神経さ」を批判した箇所である。湖南の京城の南大門での感想のなかに韓国の巡査兵隊の「不行儀」を指摘した箇所があり、それを捉えて立花氏は「侵略国家の人間に対して、行儀良く振る舞うことを期待する方が余程お目出度いということを湖南は知らないらしい」などと述べているが、こうした捉え方にこそ無神経というか<偏狭さ>を感じざるをえない。この「不行儀」はもちろん日本人に対しても朝鮮人・同朋に対しても発揮されたものであって、韓国の巡査兵隊が、日本人に対してだけ「不行儀」に振る舞い、朝鮮人同朋に対しては行儀良く振る舞っていたなどという理解は到底成り立たないだろう。本当にこんな読解力で湖南の文章を正確に理解できるのであろうかと疑わしくなってしまう。
ここの箇所に付された「注5」はさらに傑作である。戦略戦術を語ることがそのまま「民衆」や「人民」に対する想像力の欠如の例とされている。一体どんな理屈でこんなことが言えるのだろうか。
韓国の巡査兵隊たちの「不行儀」は、日本の巡査兵隊の「不行儀」の拡大再生産したかたちであるという見方であれば成立するのかもしれないが、こうした素朴な観察に対しても「差別主義者=湖南」という色眼鏡をかけてみると、こんな風にゆがんだ理解を形成してしまうということである。自戒しなければならない。
またこの同じ章の(注6)では台湾の研究者の文献を紹介しながら、日本の中国学者の中国人に対する「差別的言辞」が取り上げられているが、そこに現れているのは中国人の「汚さ」についての素朴な感想に他ならない。原著者の意図はわからないが、立花氏はこうしたことを引用して「中国の古代文化の尊重と近代中国の蔑視という『矛盾』」を指摘するのだが、これは普通に考えて「矛盾」でも何でもない。中国の文化(必ずしも古代文化には限定されないと思う)を尊重し、その価値を認めれば認めるほど、「近代中国」の姿=西欧列強に蹂躙され、日本にさえ屈服せざるを得ないかに見える「死に瀕した中国社会」は我慢ならないものに映ったとしても当然である。だからといってそれを「蔑視」と呼ぶことには賛成できない。それに中国人の「汚さ」についての素朴な感想は、別段「蔑視」の結果ではない。西欧人が日本人を「魚臭くて、同席するに耐えない」というようなものであり、こうした素朴な感想を抱くことを「中国文化尊崇が観念的であり、現実を欠いていた」などと捉えることこそ大きな誤りである。「現実」は「汚さ」にまみれていたのであり、その現実を素朴に表現することが「現実を欠いていた」などとは言い得ない。立花氏は、湖南に「支那人とすれ違いに、衣袖の相触るるさえ快からぬ」に続いて「然れどもそのうちなる精神こそ自立の気構えがあり尊崇にたる」とでも言わせたかったのだろうか。あるいは夏目漱石に支那人のクーリーは、「一人見ても汚らしいが、二人寄ると猶見苦しい」に続けて「しかしこれも日本や列国の侵略によるものであり、この貧困の責任を我らが自覚しなければならない」などと書けば立花氏は満足したのであろうか。これこそ超観念的な「現実」と言ってよいだろう。一体「現実を欠いている」という「現実」とは何を指すのだろうか。
前にも触れたが、立花氏は湖南の『朝鮮の将来』に触れて、そこで述べられている「移民推賞」「同化政策」への賛意を「ヒトラー張りの<ショアー>」と批判しているが、全く異質なものである。今日の時点から当時の日本の朝鮮支配の在り方、「移民政策」「同化政策」をどう考えるかは別にしても、ここでの湖南の発言は朝鮮人の民力の弱さについての指摘と、「同化政策」による「民族」の区別の解消ということだが、前者は事実認識であり、後者が「民族の処分」(これは決して「抹殺」という言葉ではなく、民族問題についての対策と受け取るべき言葉である)についての具体策と言える。多分この「処分」を「意図的抹殺」と読み誤って立花氏は<ショアー>と位置づけたのであろうが、これも「誤読」の類である。しかも事実認識の部分を「彼らが取るに足りない人たちだと強弁する」というように勝手に湖南の「意志」と読み替えてしまっている。
さらにこの<ショアー>についての(注2)では、戦前の日本人による「朝鮮史」研究の問題点を取り上げた姜東鎮の著作を引きながら「当時の新聞を読むと、『朝日』をはじめ、半島の植民地化を肯定・支持する『社説』の多さ・過激さに呆れてしまうが、この文脈に置いてみるならば、内藤の<ショアー(絶滅)>論もさほど違和感のないものであったことがよくわかる。」と述べているのだが、こうした指摘こそ驚くべき想像力の欠如と言わねばならない。「半島の植民地化を肯定・支持する『社説』の多さ・過激さに呆れる」などと述べること自体に「呆れかえ」ってしまう。当たり前ではないか。植民地化という事態が揺るぎない事実として進行していた時に、国際的な緊張が持続的にあった時期に、しかも植民地化が東亜の「正義」と信奉されていた時代に、「植民地化」への批判・否定の論調が紙面を賑わすなどという事態を想定することこそ、呆れかえるほどの認識不足といわなければならない。過激な「植民地経営」についての論調が支配的な状況の中に湖南の朝鮮論を置いてみれば、そうした過激なナショナリズムとは一線を画した内容が備わっていたことに気づくはずなのだ。「文脈に置く」とはそのような理解の仕方を言うべきである。
湖南の中に「ナショナリズム」の要素が色濃くあったことは事実である。文明的進歩という視点からの社会や文化、人種についての等級的な分け方が存在したのも事実である。ただ、これは今後の検討課題にもなるのだが、湖南のナショナリズムは、天皇制超国家主義に行き着くものではなかった。このことは、湖南の辛亥革命に対する考え方、満州国に対する考え方からもわかるはずである。また、文明的進歩についての考え方も、明治思想に強い影響のあったと思われるスペンサーなどの社会進化論とは異質な、中国文化を中心に据えた「文化」進化論とでもいうべきものであり、今日のような科学技術や生産力に進歩の指標を置く発想とは対極的な位置に立つているという意味でなかなか面白い内容を備えていると見るべきである。無論、これは私たちの課題であって、立花氏の課題ではない。立花氏が、湖南のナショナリズムを問題にするのであれば、湖南の理論を「でっちあげ」(これは本当にまっとうな人の「言説」ではありえない)などといい加減な言葉で批判するよりも、湖南の歴史理論の中にどのようなかたちで国民国家的幻影あるいは超国家主義的幻影が滑り込み理論の限界を形成しているかを検証してみるべきである。それをなしえないならば、湖南を読む、湖南研究を読むなどという無駄なことはしない方がよい。私もこんな徒労感しか覚えない反論を書く必要もなかったのだから。
また、立花氏はもっと驚くべき「誤読」を犯している。湖南が色々な所で述べている「支那社会」の「自然発動力の潜運黙移」を「緩く、重く、鈍く、強く推し流れている」と表現している点を捉えて、この「支那人」観は偏見に満ちている、中国人には自発的革新力がない、と意味づけているのだが、この「緩く、重く、鈍く、強く」の「潜運黙移」を「偏見」、中国人に対する「侮蔑」のように理解した人は、立花氏が最初である。おそらくは最後の人とも言えるだろう。これは中国社会の根底に流れている歴史を動かす力、容易にはそれを捉えることはできないのだが着実に社会を動かし、歴史を動かしてきた根源的な力を表現しているだけで、「偏見」とは全く無縁の言葉である。ある意味では自前の歴史の流れがあるという考え方である。これを「自発的革新能力がない」などと受け取ることなどどうしてできるのだろうか。立花氏自身が湖南に対してはじめからある種の偏見があり、その偏見の目(色眼鏡を通した目)がこうした誤読を可能にしたのであろうが、こうした偏見の目で読解されてしまうというのは、湖南にとっても、私たちにとっても災難である。さらにここから子安氏の湖南批判を援用するのだが、子安氏の湖南批判は、『支那論』の正確な読解に上になされたものではない。ましてや湖南の歴史理論の全体を視野に入れたものではなく、『支那論』の「自叙」の言葉尻を捉えた難癖に近いもので、取り上げるに値しない。子安氏が湖南の「唐宋変革論」や「清朝史」についての考え方について歴史理論の立場から論じているのであれば別だが、「自叙」の言葉を『支那論』の内容から切り離してイデオロギー的に批判しても無意味である。しかし、この問題は、立花氏の問題とは別の子安氏の問題である。ただ、腹立たしく思うのは、どうして立花氏がこうも易々と人の批判の尻馬に乗ろうとするのだろうか、ということである。立花という批判主体はほぼ消えている。ある時は増淵龍夫に、ある時は子安宣邦に、ある時はサイードニ、フーコーに、ハンナ・アーレントに、バルトに、まるで「七つの顔を持つ男」である。「文化人」立花涼の面目躍如というところだろうか。しかし、ともあれ立花氏の「誤読」は彼自身の問題である。
この『公開質問』のすべての内容が私には承服できないが、すべてに反論することは、あまりに煩わしい。気づいた点について列挙して反論をしておこう。
*湖南の「日貨排斥批判」についての(注2)に「内藤の言説は、当時の状況を誤解しているか歪曲しているかのいずれかでしかないのは、現代から見て明らかである」とあるが、どんな「現代」なのか。これは立花氏の考える「現代から」の視点に立てばというにすぎず、立証を伴っていない。何を根拠に「明か」というのか。誰かの説を引用するのではなく、一度立花氏自身が資料の山に入り込むがよい。「明らか」なことは何一つないということに気がつかざるをえないはずだ。それに氏の「現代から」の視点自体を自己検証した方がよいように思われる。かなり視力が落ちている。
*(P11)には「文字は権力と不可分であり・・云々」などという指摘が、湖南の「文化主義」と接続され、「文化主義」が「民族主体の軽視」を孕むなどと述べられているが、「文字文化」を中心に歴史を見る在り方が、そのまま権力者の歴史の見方になり、「民衆の軽視」することになるなどとこんな杜撰な発想がどこから出てくるのか。こんな発想からすれば文学は皆「権力者の文学」にしかならないだろう。こんな馬鹿げたことを本当に考えているのだろうか。酔っぱらいの戯言としか見えない。
*『内藤湖南全集』の「恣意的編集の在り方」が(P12)の(注1)で指摘され「それを等閑に付してしまっている現代人のあり方、中国研究者のあり方」を問うべきだとしているが、確かにすべての湖南の文章が収録されてはいないけれども、「等閑に付してしまって」いるわけではないし(現に私は『全集』に収録されていないことを明らかにしつつ、それも利用した)、抜け落ちている文章を検討しても(すべてを検討できたわけではないが)編集者の「恣意的」と言えるほどの「恣意」を認めることはできないように思われる。ただやはりあまり読む価値がないような駄文も湖南は書いていたことは事実であり、その選別の基準には立花氏がおそらくは想定しているような政治的な「恣意」を読みとることはできないだろう。「恣意的編集」と批判するのであれば立花氏自身がその「恣意性」を具体的に明らかにすればよい。満州に関しても、朝鮮論に関しても、『全集』に収録されていないものを読んでは見たが、それによって湖南像に修正が必要になったということはなかった。ただ、湖南も人の子であり、つまらぬ文章も書いていたことを確認してやや安心したことは事実ではあるが。もちろん、すべてを収録してあれば図書館通いをしなくて済んだのに、という思いはある。
また、『全集』の「テクスト確定」は確かに必要である。立花氏の意図とは別に、さらに厳密な校訂が必要である。しかし、こうした『全集』は永遠に完成はしないものなのであろうが。
*私の「内藤湖南と満州」について、「戦争中、日本国籍を強要された朝鮮人・中国人などは立派に資格のある『日本人』だ。彼らには立派に『日本人』の『責任』を問う資格がある」と述べているが、「日本国籍」を強要された朝鮮人・中国人にはその状況に対して全く責任がなかったなどというのはあまりにも朝鮮人・中国人の主体性を無視した議論ではないか。「民族主体」を重視する立花氏であれば、日本国籍を強制された時に抵抗か服従かの実存的決断が迫られたのであり、まさしくその決断にこそ「民族の自由」が賭けられていた、ぐらいのことを述べてほしい。
ともあれ、ここで私が述べている「責任」とは、満州国に関わっていった湖南も橘も、自分たちの考える「満州国」に現実を引き寄せようとして果たせず、関東軍による傀儡国家化を阻止できなかったということについて「責任」であり、そうした「責任」があるとすれば(予め言っておくが、ここで私は立花氏のように「責任」を追求すべきだなどといっているわけではない)、誰もが責任を免れない、と述べているわけだが、無論、朝鮮人だろうが中国人だろうがこの「責任」から免れるわけではない。というよりもそうした歴史状況についての「責任」などという倫理的言語の無効性を言うためにこそ、あのような書き方をしたのであるが、その意図が立花氏にはまったく伝わらなかったようだ。私の文章力の拙さを恥じなければいけない。
そもそもある歴史状況についての責任とは、その歴史状況を作り上げた存在すべてに背負わされるべきものであろう。ただし、この「責任」とは立花氏が想定しているような、正義の立場から悪を断罪するというような性質を持つものではない。
「侵略戦争」の責任について、徐京植氏の言葉=「侵略の犠牲者、侵略への加担を拒否したものには」「責任」を問う資格がある、などと述べた箇所を引用して「侵略戦争を擁護するいかなる言説も肯定することは出来ない、たとえそれが『義務』であったとしても、免罪符とは決してなりえないのだ」と立花氏は述べるのだが、相変わらず「現在」からの「過去」の断罪という構造を持ち、「侵略戦争」のさなかに語られれば「かっこいい」と絶賛できるのだが(これも「過去」についての絶賛にしかならないが)、しかし、一体誰が「免罪符」を発行するというのか。立花氏が「裁く」のだろうか。徐京植氏の言葉からすれば、同時代に生きた「侵略の犠牲者、侵略への加担を拒否した者」が責任追及の資格を持つと述べていることからすれば、これは同時代的責任追及の意味らしいが、徐京植氏自身が「侵略の犠牲者、侵略への加担を拒否した者」であって「責任」追求を「今」しているということなのだろうか。日本の侵略戦争は悪かったとその遂行者や加担者をいかに批判したところで、現時点での「免罪符」(何の免罪符かよくはわからないが)が手にはいるというわけではないのに、と私などは考えてしまうのだが。
いずれにしろ、こうしたタイムマシンに乗ったような「責任論」を予め封じておこうとして「内藤湖南と満州」の「責任」を述べたにもかかわらず、封じるはずの批判をかえって意に反して引き寄せてしまったという点では私の不明を恥じなければならないだろう。
*(P24)では湖南の「唐宋変革論」がやり玉に挙げられているが、これには反論のしようがない。「『ギリシャ文化』のないところに『ルネッサンス』を考えることなどほとんど無意味」と述べる立花氏は、一体私たちの論文を正確に読みうる能力を備えているのであろうかと疑念さえ生じてしまうからである。湖南にとっての中国の「近世(近代)」とは西欧のそれと同じものとして想定されているわけではないことは、どの論文をとってもわかるはずである。一体どういう読み方をしたらこんな言葉が出てくるのであろうか。「『唐宋変革論』から『辛亥革命』をその1つの連続的な帰着点とする『史観』などどう見てもまともな学者の言説ではあり得ない。『君主独裁制』から『共和制』に至るには大きな歴史的断絶の必要なのは西洋の歴史を見れば明らかであり」などと書く神経もよくわからない。どうして立花氏が「西洋の歴史」基準から中国史を眺めるなどという立場に立つのか。「西洋の歴史」でさえも「中世」「近世」の捉え返しが行われつつある時に、何の疑念も持たずに「西洋の歴史を見れば明らか」などと言えるのか。こうした態度こそ「どう見てもまともな」人間の「言説ではあり得ない」だろう。立花氏は「共産党の輝かしい勝利の軌跡」を記した中国共産党公認の「現代中国史」の記述をありがたく信奉していればよい。信仰こそが幸福を生む。
湖南の例示する「近代支那の文化生活」で、『紅楼夢』の貴族生活が挙げられているのが気にくわないようだが、別段この当時の「政治体制」を「最良のもの」として挙げているわけではない。これも「誤読」である。この部分はあくまでも「文化」の説明である。これを橘は「有閑階級の文化」などと批判したわけだが、それは橘が「無産階級の文化」なるある意味ではこの時代特有の「理念」を持っていたからであって、橘の方に「文化」についての視野狭窄があったと見るべきである。湖南の「近代文化」とは、「朝に魚釣りをし、夕べに読書をする」などというあり方よりもはるかに具体的であり、「無産階級の文化」などという見方を取らない点で「今日的」でさえある。すべての人間が、労働世界から解放され、詩を語り、酒を飲み、恋をする。「清く正しく美しく」よりもはるかに水準の高い文化というべきである。残念ながら現代世界においては部分的にしか実現してないし、それに相変わらず政治と軍事がのさばっているという点では、湖南の「文化」の実現は遠い先のことになってしまうのだが。われわれの思い描きうる「文化生活」も基本的にはこんなところではないか。