令和2年を迎え伊勢物語調の雅な文章を書こうと試みたのでありますが、作者の筆力の足元にも及ばず断念致した次第であります。当初、タイトルを借用して「相模物語」としようと思っておりましたが、調べてみますと現在の横浜の主要部は旧武蔵国であった様でありまして、ボツとなりました。武蔵と言えば現在の東京、埼玉というイメージでありますので、横浜を表現するのにしっくり来ません。横浜駅を降りますと相模鉄道の駅があると言うのに面妖な話であります。
【旧武蔵相模国境】

考えてみれば我が甲南大学があります神戸も旧摂津国と播磨国の国境に跨っております。現在の須磨区と垂水区の区境が旧国境になります。神戸も横浜も歴史の教科書でも余り出て来ない地名でありまして、江戸時代末期、欧米列強に対して開港する地として突如、登場して参ります。そんな新興都市でありますので、江戸時代まで使用されていた旧国境という概念があてはまらない街であると言えましょう。
話が横道に逸れました。現在、関東の大学応援団OB有志の集まりであります「大学応援団の在り方に関する研究会」が母体となって運営しているのが過去2回開催された「大学応援団フェスタ」である事は既報の通りであります。
参加校の多くが現在も現役応援団が活動している大学となっておりますが、中には我々と同様、活動停止中の応援団OBの方もいらっしゃいます。
大学応援団という存在そのものが、全盛期と呼ばれる時代を思うと社会の中での或いは大学の中での存在感、認知度が低下し、学生気質、社会における大学、学生の在り方等も変化し、団員のモチベーションの根源をどこに定めるべきか迷走しております。
そういう情勢の中、大学応援団の数そのものが減少するという状況が現出しておる訳ですが、一度、活動を休止した応援団を再建するという行為は非常な難事業であります。情熱に燃えた学生が現れ再建を果たすケースが何例か見受けられますが、非常なレアケースと言えます。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会