関西大学野球連合は昭和37年より昭和57年までの20年間にわたって活動しておりました。この期間中は関西の硬式野球部がある大学は全て連合に加盟していた訳でありますので、ここで連合を軸にした応援団連盟が発足していたとしたら快挙であった事でありましょう。50校以上に及ぶ大学が連合に名を連ねておりましたので、規模的にも日本一の連盟になった可能性がございます。近畿圏内で地域や国公立、私立の垣根をも取り払った連盟設立の意義は大きかったと思われます。
無論、この間、全体的な括りで、或いは地域や内部の特定リーグ内での連盟発足の動きがあった様であります。現にかつて我が團の團室には昭和40年代に制作されたと思われる関西の応援団連盟の規約案が資料として保管してありました。
ただ知る限り結実した例はない様に思われます。尤も我が團は昭和45年までは全日本学生応援団連盟に加盟しておりましたので、情勢に疎かったであろう点を加味しなければなりません。とは申せ仮に何かしらの成果を実らせていたとても、その後、その足跡を確認する事が出来ない事は確かであります。
そんな中、関西大学野球連合が解散する2年前の昭和55年11月、遂に関西学生応援団連盟結成の報せが業界を駆け巡ります。加盟校は下記の6校であります。
大阪経済大学 大阪産業大学 大阪商業大学 大阪電気通信大学 関西大学 近畿大学(五〇音順)
在阪6校が大同団結した訳であります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会