ここ数か月の間で学ランに関する記事が多かった様に思います。言うまでもなく応援団員は学ランを着用します(一部ブレザー等の団もあったりもしますが)。
一方、応援団幹部は羽織袴を着用する場面がございます。戦後は一部の大学を除き幹部以下全団員が学生服である事が殆どでありましたが、徐々に羽織袴が普及していった様であります。
当初はやはり資金力、組織力が優勢な団が導入していった事もあり、応援会場で弱小校が羽織袴で現場に駆け付けたところ、対戦校の武闘派応援団に「ウチの模倣だろう」とクレームを付けられ、学ランに着替えさせられる、という一幕もあった様であります。
羽織の特徴は異様に長い羽織紐であります。喧嘩太郎と言えば、かつて三宮では泣く子も黙る、長身の眼光鋭い應援團に理解が深い御仁を指しましたが、この羽織は喧嘩羽織とも呼ばれる事がある様ですが、詳しい由来は分かっておりません。
時代劇では幕末の新選組が同じ形状の羽織を着ておりますが、その辺が由来なのかもしれません。ただ喧嘩と呼ばれる割には、羽織という袖がヒラヒラする衣類も、この異様に長い羽織紐も邪魔な気がしますが、命のやり取りの場で着用されていた訳ですので、何か理由があるでしょう。
同じ疑問を考察される方は巷にもいらっしゃる様です。参考までに。紐の結び方【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会