昭和52年の「血洗いくずし」【前編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

以前も幾度か取り上げましたが、我が校は学習院大学を兄弟校とし、昭和31年より学習院大学対甲南大学運動競技総合定期戦を毎年、開催致しております。主催は毎年、交代で神戸、東京と会場を変え、4月に開会式、12月に閉会式が行われ、現在でも続いております歴史ある行事となって居ります。


平成25年の開会式の式次第がありますが、長い歴史の中、凡そ同様の内容で継承されて居ると考えられます。最後のエールの部分も平成25年当時は学習院大学から一方的に送られる異様な形でありますが、現在は我が校体育会本部の有志によって答礼できる体制が構築され、暫定的な是正措置が講じられております。

さて、昭和52年は我が校が主催校として定期戦が行われ、4月に我が校体育館で開会式が挙行されました。ここで前代未聞の珍事が勃発します。

当時の我が團は23代目の治世でありましたが、幹部だけで8名おり、學習院大學應援團幹部とも交流の深い代でありました。因みにこの時の二十三代目甲南大學應援團の関組織統制部長が現在のOB甲雄会関会長であり、學習院大學應援團の児島團長が現在のOB櫻援会児島会長であられる訳であります。【以下次稿】

 

甲南大學應援團OB会

八代目甲雄会広報委員会