鎖国と言う言葉がございます。社会科の教科書にも出て参りますので、御存知の方も多いでしょう。江戸時代の政策で国同士の交流を限定するというのがその骨子であります。
先日の御紹介した記事で、弊團の笹井名誉顧問の寄稿の中に「他大学の応援団との交流は一切お断りし、、、」という記述があり、奇異に思われた方もいらっしゃるかと思います。笹井顧問が誕生した昭和45年以降、我が團は言わば、鎖国ならぬ鎖団の状態にあった訳であります。
【鎖国の象徴「長崎出島」】
昭和45年以前は全日本学生応援団連盟に加盟したり、近畿地区各校との交流は活発でありました。現在より遥かに多くの大学に応援団がありましたし、弱小チームが多い我が校でも応援に行けば対戦校に応援団が来ているという事が多々ございました。
その一方、資金集めとしてのパーティー券のやりとり、応援会場でのトラブル等の事態が時として大きな騒ぎになる事もございまして、これらの経緯を踏まえ、鎖団が大学当局より提示された応援団再始動の条件の一つとなった次第であります。
これによって従来の他校応援団との交流は、定期戦がある学習院大学、応援に行った際の対戦校応援団との折衝に限定されました。併せて従前の我が団OBや反社会的勢力との交流も禁止されました。
昨今の吉本興業の一連の騒動を思えば、半世紀も前に反社からの決別を宣言した我が團は先見の明があったと言えましょう。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会