再三、御紹介させて頂いた参りました神戸大学応援団は新入団員が7名を数えているとの事で非常な慶事であると思っている次第ですが、HPやSNS等を拝見しておりますと、同団では所謂「学ラン」を止めて学生服を着用しているとの記載がございました。他にも同様にHP上で学生服に戻した、という大学應援團がございましたし、他にも元々、所謂、学ランは着用していないという團もある様であります。
学ランは言うまでもなく應援團の象徴的なアイテムの一つであります。過去、入團動機が「学ランを着てみたかった」という者も居ない訳ではありません。
ただ歴史を紐解きますと、昭和40年頃までは大学應援團も通常の学生服と同じ型のものを着用して居った様であります。後の学ランが登場するのは昭和40年代でありまして、我が團では昭和43~44年頃の事であります。主に襟を高くする、上着の丈を長くする、ズボンを太くする等といった特徴が見られる訳でありますが、こういった学ランは関西発祥とも言われておりますが、確かな事は分かっておりません。
ただ歴史を紐解きますと、昭和40年頃までは大学應援團も通常の学生服と同じ型のものを着用して居った様であります。後の学ランが登場するのは昭和40年代でありまして、我が團では昭和43~44年頃の事であります。主に襟を高くする、上着の丈を長くする、ズボンを太くする等といった特徴が見られる訳でありますが、こういった学ランは関西発祥とも言われておりますが、確かな事は分かっておりません。
その後、大学應援團の学ランは高校生や中学生の間でも流行し、安い既製品が大量に出回る様になりました。その時々の流行で上着の丈が長くなったり短くなったり、様々な変遷を経た訳でありますが、更に年代を下ると詰襟の制服そのものを廃止する学校が増えて参りまして、学生服も学ランも絶滅危惧種と言っても差し支えない現状となって居る次第であります。【以下次稿】
【劇画「嗚呼!花の応援団」第50話】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会