今上陛下が即位なされ、ゴールデンウィーク中のTV番組は皇室関連の報道が多かった様に思います。皇位継承に関する家系図も再三、登場しましたので、複数ある宮家の関係性などの理解も深まった方も多いと聞きます。今回は既に薨去なされておられます三笠宮寛仁親王殿下に関する事を書かせて頂きたいと存じます。
今でこそ皇族の方は様々な学校に入学される様になりましたが、一昔前は学習院で学ばれる方が圧倒的に多かったものであります。意外と知られておりませんが、三笠宮寛仁親王殿下は学習院御在学中、高等科で応援団に籍を置いておられ(大学時代はスキー部)、応援団文化に見識が深い皇族の方であられたのであります。
後に「ヒゲの殿下」と我々国民に親しまれた殿下でありますが、高等科の時代より髭を蓄えておられたそうであります。当時の学習院高等科は、髪型、制服、制帽、靴、鞄に至るまで厳しく規定されていたのでありますが、髭に関する規定はなかった為、生やしていたのだ、と殿下は語っておられます。
その後、學習院大學應援團及び同OBOG会の活動を御後見頂く事になられた様でありまして、例えば昭和48年、豊島公会堂で学習院大学が本部校として開催された全日本学生応援団連盟の連盟祭に、三笠宮寛仁親王殿下が来賓として御臨席なされ、世間は度肝を抜かれたのであります。当時はまだまだ荒くれ者という印象が強かった大学應援團の式典に皇族が出席されるという事にあたって、実現に至るまで現代で考えるより多くの問題があったと考えられます。
學習院大學應援團の周年記念等の慶事にも御臨席を賜った事もございましたが、我が團も兄弟分の誼で同席させて頂いた事がございます。地の利を生かし、西宮市の日本盛(森本直樹社長 甲南大学卒)が宮内庁に納め、昭和天皇が日常、愛飲されておられたと伝えられる銘酒があるのですが、これを祝賀の手土産に持参したところ、その選定に気付かれた殿下よりお褒めのお言葉を頂戴致した事がございました。我が團末代までの誉れであります。
たまたま私共は学習院大学との縁で日本に生まれて良かったと体感できる機会に恵まれた訳でありますが、現役團員がやり甲斐を感じる事が出来る令和の時代ならではのやり方があるはずだと思っております。
謹んで三笠宮寛仁親王殿下の御冥福を御祈り申し上げる次第でございます。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会