百家繚乱【後編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昨日、兵庫、大阪のかつての大学應援團事情を極めて端的に述べて参りました。記事中、昭和41年当時の全日本学生応援団連盟の加盟校のうち、関西地区で加盟していたのは我が校だけという状況を見ても関西では"変わり者"であった我が團が、正確な情勢を掴んでいたとも思えませんので、他にも多数、大学應援團が活躍して居りましたが、詳細までは把握できておりません。
 
さて、近畿の都市圏を俗に京阪神と申しますが、残る京都は独特の歴史的背景により本拠を構える大学が多く、人口では勝る神戸よりも遥かに多くの大学がございます。現時点でも15校で活躍する関西の大学應援團のうち5校が京都の大学でありまして、関西の1/3は京都勢という計算になります。
関西の私立大学の代表的な括りとして関関同立、産近甲龍と8校が挙げられますが、地域別に見ますと兵庫2校、大阪2校、京都4校と京都勢の占める割合が高いのであります。
 
関西では旧制時代の流れや国公立大学等の括りでの親睦団体、現在では関関同立による関西四私立大学応援団連盟などの連盟組織が散見されますが、関東における東京六大学や全日本学生応援団連盟の様な組織と比べると見劣りがする感が否めません。過去、関西地区の大学應援團を包括する連盟組織の構想がない訳ではありませんでしたが、実現に至る事はありませんでした。
理由としては、従来、大学應援團の主戦場であった硬式野球の連盟組織が不安定で、昭和57年に関西大学野球連合が分裂し現在の各野球連盟の体制が確立するまで紆余曲折があり、應援團も野球連盟を基盤として纏まろうという機運が醸成されるに至らなかったと考えられます。根底には関西地区によく見られた座布団の上下、個別の敵対関係等が影響し、大同団結は難しかったのだと思われます。
 
いずれにせよ、現在、15校にまで減少しましたが、関西には多くの應援團が個々に強烈な個性を持ち活躍しておりまして、その中では4年という短い大学生活を應援團員として懸命に生きる團員達が狂おしいまでに咲き乱れていたのであります。
 
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会