本多團長には数多くの武勇伝が語り継がれておりますが、後年では検証不可能な事象が多く、話としてはユニークでも真偽が定かでないものは触れる訳には参りません。
本多團長は180cmを越える長身で、当時としては大男で、持ち前の度胸の良さで肉弾戦には滅法強く、数々の戦歴があるのは事実であります。
記録からも確認される範囲だけでも、戦前より三宮を縄張りとしていた博徒G組、武闘派應援團として売り出し中だったO大学應援團との抗争事件があり、当時の甲南大学は蜂の巣を突いた様な騒ぎになったと伝えられております。また強大な博徒、武闘派應援團を向こうに回し、最終的には有利な条件で手打ちに持ち込んだ交渉力も恐るべきものがあります。
そういう激しさのみが先行して、本多團長の印象が形成されたと思われますが、応援があった際は本多團長は帰りには必ず團員を三宮に連れて行き、團員一人一人に酒を注いで回り、労いの言葉をかける心配りが出来るトップでもありました。
反面「○○の店でうちの学生が恐喝されている!」という報を聞けば我先に現場に駆けつけ、窮地を救ってみたり、と当時の團員のみならず甲南生から見た本多團長は実に頼もしくもあり、時に怖く、そして眩しい存在であったと伝えられております。
まだまだ枠からはみ出る事に対して躊躇いを持たざるを得ない時代の中、奔放に4年間を駆け抜けた本多團長は我が團に道標を示して下さったのであります。この道標を見失くことなく、歩みを続けていく事が後輩である我々の責務であると肝に銘じ應援團道に精進致す所存であります。
【本多孝雄團長(3回生時代)】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会