六つ釦 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

以前、甲南大學應援團の團員が着用していた学ランの前ボタンは通常の学生服が5つである事が多いのに対し、6つである事を記載させて頂きました。
六つ釦は甲の代紋
今回はこの記事の訂正になります。
過去の写真を確認すると18代目=5つボタン、19代目以降=6つボタンという事実を以って、19代目が6つボタンの始祖である旨の記事を掲載したのですが、最初に6つボタンで学生服を誂えたのが16代目英賀副團長である事が判明しました。
 
16代目以前は團員数が多い事もあり、團員全員での集合写真がまずありません。また機関誌を作成していないので、毎年、必ず写真があるとは限らず、捜索は難航する訳であります。
写真があったとしても集合写真は幹部だけというのが定番でありまして、幹部故に羽織袴姿だったり、腕組みをしたりしておりまして、バッジやボタンの数が非常に見分けにくいのであります。
 
今回はたまたま新しい写真が入手できた事により6つボタンの起源を16代目(昭和45年卒)まで遡る事が出来ました。
【播州同志会(播州地区の各大学の体育会・應援團の親睦団体)】
 前列右から2番目が十六代目甲南大學應援團英賀健司副團長
今回で分かった事は、過去は後世程、團員の服装が厳密ではなかったという事であります。昭和40年代前半までは学ランの形は通常の学生服と大きく変化する事はありませんでしたが、袖のボタンの数は時代によってはまちまちだったりします。
昔の学ランは、洋服店で仕立てる事もあって、イメージ的にはスーツに近く、仕立てる際、余った生地でベストも誂えスリーピースにしたりもしておりました。
 
我が團では15代目(昭和44年卒)の團員から、後世の学ランのイメージに近いものを仕立てる様になった模様であります。その一代下である英賀副團長も昭和50年代の学ランのイメージに近いものを着用しておられます。
英賀副團長は引退後、学ランを下級生に貸与されていましたので、團室に残ったこの学ランを見た下級生達が真似るうちに、我が團の標準服になっていったものと思われます。
 
英賀副團長にお伺いしたところ、6つボタンにした理由は、学ランの丈が長くなった事により、ボタンの間隔や全体のバランスから6個にした方がサマになった為だとの事であります。
 
いずれにせよ以降30年続く我が應援團の学ランのパイオニアは16代目英賀副團長であったという次第でございます。
 
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会