六つ釦は甲の代紋 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

以前 、我が應援團の学ランについて触れた事がございましたが、最大の特徴は前が六つ釦である旨、記載させて頂きました。

 

しかし昔からそうであった訳ではなく、昭和30年代~40年代にかけての写真を見ますと、通常の学生服と同じく五つ釦である事が分かります。最初に六つ釦を着用したのは19代目 牧村順二団長でございます。年代で言えば昭和48年の事でございます。

【学習院戦での牧村團長】

19代目を先頭にそれ以降、六つ釦の学ランを我が團の團員は誂える様になった事は分かっておりますが、その由来までは伝わっておりません。

敢えてこじつけるならば、甲南というのはそもそも六甲山系の南側一帯を呼ぶ地名であるとされておりますが、その六甲山に因んで、といったところでしょうか。

 

由来はいずれ解明して参る予定でありますが、これで一つ我が團には麗しい伝統が出来ました。昭和50年頃より主に中高生向けの市販で安い各種学生服が巷で販売される様になり、学校によってはこういった安価な既製品で間に合わせる團も出て参りましたが、我が團では六つ釦故、誂えざるを得ず、学ランは必ず誂えるという伝統であります。

 

たかが学ラン1枚の事ではありますが、1年を通して着るものでありますから、こだわりたい部分なのであります。

 

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八代目甲雄会広報委員会