交渉半ばで、その場での最下級生であるトシオくんが怒り出したので、一同、呆気に取られますが、我に返った相手校は更にヒートアップした事は言うまでもありません。
「おい、甲南の!お前のところは若い衆にどんな教育をしとるんじゃ!」
と相手の怒りはピークに達しております。しかしながらトシオくんは今にも相手の親衛隊長に掴みかからんばかりの勢いでしたので、他の團員が必死に制止しますが、トシオくんは怒髪、天を衝く勢いで
「ワシは神戸の地道じゃ!喧嘩やったらいつでも買うたる!」
と啖呵を切る始末。
渉外担当は救急車で運ばれる自らの姿を想像し「南無三」と覚悟を決めたものの、意外な事に相手校の方が俄かにトーンダウン、一同、落ち着きを取り戻した後、いつになくスムースな交渉と相成ったのであります。
交渉が終わり、相手校應援團の面々が「本多の次は地道かい、、、喧嘩にならんがな、、、」などとブツブツ言いながら、自軍のスタンドに戻る姿を見て、ようやくトシオくんの素性に気付いたのであります。
兵庫県警をして「大抗争事件のすべてに指揮をとり、百戦百勝す」と評された当代きっての神戸の猛将の縁戚にあたるのがトシオくんだったのであります。
普段、團では家庭の事は余り口にしないトシオくんでありましたが、夜の街でも相応の顔だった彼の風評は意外と、遊び慣れている他校の者の方が「どうも甲南の学生の中には地道の縁者がいるらしい」などとよく知っていたりしていた訳であります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会