全日本学生応援団連盟【前編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昨日、ご案内申し上げた全日本学生応援団連盟主催の本部記念祭ですが、今回で66回目を数えるとの事ですので、実に歴史がある行事であります。
以前、ご紹介させて頂きましたが、昭和35年頃~45年頃の約10年間、我が應援團も連盟に加盟させて頂いておりました時期がございますので、その間は連盟祭を見学するだけでなく参加する側であった訳であります。
 
昭和30年代、40年代という時代は、大学応援団の黄金期でありまして、4年制大学であれば応援団がない大学の方が珍しい位で、50人、100人と團員を数える團も珍しくありませんでした。まだ全学生が数千名規模で、且つ応援団文化が似合う校風でもない我が校でも50名程度の團員が在籍していた事からも、大学における応援団の勢威が窺い知る事が出来る訳であります。
 
連盟には発足当初より関西勢も積極的に関与し、昭和28年には近畿大学應援團の木口團長が委員長に就任しております。
【昭和28年 連盟総会 木口五郎委員長(近畿大学應援團團長)中之島公会堂】
その後、関西各校はそれぞれの事情で、昭和40年までに我が校を除いて連盟を脱退致しております。以前もご紹介した昭和41年当時の加盟校は以下の通りであります。
計34校でありますが、関西地区は我が校だけでしたので、便宜上、東海地区に名を連ねております。
 
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八代目甲雄会團史編纂委員会