命知らず【後編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

前回、ご紹介した本多先輩(應援團)、米田先輩(空手道部)が余りにもインパクトが大きかった為、それ以降も甲南らしからぬ学生は多々おりましたが、両者を越える程、甲南大学裏面史に名を残した者は遂にはおりません。
ただ残念ながら両名共に既に鬼籍に入られておりますので、同時期を学友として大学生活を送った先輩方の話をお聞きするしか、往時を偲ぶ事が出来ません。
 
我が應援團でも、両先輩以降も全国紙(読売・朝日・毎日)に記事が載ってしまう様な事件を起こした者もおりましたし、関西では名にし負う武闘派應援團K大学、OS大学の應援團とモメ事を起こしたり、それこそ任侠の道を歩む方とトラブルを起こしたり、と現代であれば即刻、本人は退学、團は解散、という事態は幾度となくございました。
 
そんな両先輩の後継者にあたる先輩方の中にはご存命中の方もいらっしゃいますので、お話を伺う事は出来ます。團史編纂委員会のメンバーも正規の團史に掲載出来るかどうかはともかく、事実を拾い集める作業は必要でありますので、こういった先輩方にお目にかかる機会はある訳であります。
 
お名前を拝見したけで現役時代の苦い思い出が蘇る顔触れでありますが、職責上、止むを得ません。ところがお会いしてみれば、昔の面影は何処へやら、好々爺然として風貌のお顔が並んでいるではありませんか。
昔の面影は何処へやら、好々爺然とした風貌が並んでいるではありませんか。かつては「母校の為なら命は要らぬ」「喧嘩で死ねたら本望」をモットーとされた先輩方も齢を重ね、穏やかに当時を振り返って頂く事が出来ました。

当時の刺激的な昔話の後、先輩方が雑談なさっておられたのですが、その会話内容は「この間の定期健診でのぉ、、、」とか「あそこの病院はエエらしいぞ」とか、命知らずだったが故に到達し得た生命の尊しさを痛感する境地がそこにあったのであります。
 
歳月は人格をも丸くする作用がある事をまざまざと見せつけられた次第であります。
 
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会