命知らず【中編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

甲南大学は昭和26年の建学でありますが、その65年の歴史の中で、在学中の学生なら誰しもが知っているという有名人と言えば3期生の本多先輩(應援團)、8期生の米田先輩(空手道部)の2名以外に考えられません。不世出の柔道家 木村政彦(拓殖大学柔道部)風に申せば、

「本多の前に本多なく、米田の後に米田なし」

と言っても差し支えない程の存在であったと伝えられております。

 

両者は5年、離れておりますので在学期間がかぶっている訳ではありませんが、昭和30年前後に在学しておりました。まだまだ社会が学生に対し寛容で、おおらかな時代であったが故に、現在であれば即時、学籍を失ってしまう様な事案も当時は頻発していた様でございます。個別の事案について詳細を記すのは憚られますが「甲南にこんな大それた事をしでかす命知らずがいたのか」と学生達が仰天する様な事件が起きますと、常にその中心には本多先輩、米田先輩がいた訳であります。

 

米田先輩が卒業されたのは昭和37年の事でありますが、それ以降は学生数も増加し、世の中が豊かになり、学生生活のあり方も多様化して参りました。こうなりますと両先輩の様な学生なら誰しもが知る有名人は生まれにくい状況になり、今に至るまで「米田の後に米田なし」の状態が続いている訳であります。【以下次稿】

 

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八代目甲雄会広報委員会