幻の初代團バッジ探索紀【前編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

先日の記事で都合5つ存在した我が團の團バッジですが、初代モデルと二代目モデルが未だ現物の確認が出来ておりません。

二代目に関しては、約15年前に現物をお持ちの先輩に見せて頂いた事が事がございます。また7年間しか使用していませんが、團員が多い年代でありますので、製造数も多く、比較的、見つかり易いのではないか、と予想しております。発見次第、ご紹介したいと思います。

そんな中、発見はまず不可能と思われておりますのが初代モデルであります。創團当初2年間しか使用されておらず、実質的には使用禁止という形で廃版となり、全て回収されたと言い伝えられている為であります。

後年の團バッジは学ランの胸ポケットに取り付けるタイプで、長方形がベースの形になりましたが、創團当初は他校でもそのスタイルが確立しておりませんでした。
当時は我が大学では学生服の襟に校章と学部章を付けるのが一般的なスタイルとして確立しておりましたが、学部章を付けず自身が所属する部章を付ける者が現れます。

バッジは着用するだけで自らの所属を明確に出来ますので、自ずとメンバーは帰属意識が高まる訳であります。そこに應援團が目を付けない訳はなく、当時、友好関係にあった関西学院大学や関西大学の應援團員が着用していた團バッジにも触発され、團バッジの制定が急務だった訳であります。
【昭和30年当時の甲南大學應援團】


甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会