昭和から平成にかけての話であります。昭和48年に大学として建学された、比較的、新しい関東のとある大学で応援団が産声を上げました。平成になろうかという時代に応援団が創設されるのは、当時としても珍しい事態でありました。
そんな事も関西の片隅で、他校の動向にも余り関心が薄い我が團は失礼ながら存じ上げなかったのでありますが、後で聞いたところによれば、体育会の試合でも対戦校には応援団が馳せ参じ派手な応援活動を繰り広げる中、何の対抗手段も持ち得ない現状に切歯扼腕した学生達が応援団を結成したそうであります。
ただ憂校の念と意気込みと勢いだけで応援団を結成したものの、いざ始めてみると分からない事だらけであります。応援の型や團旗礼などは見様見真似で何とか形はつくものの、それらに磨きをかけるにはどういう鍛錬が必要なのか、バックの團員の動きを一糸乱れぬものにするためには?等々、疑問が無数に生じ、結局のところ日常の組織運営を学ぶしかないという結論に辿り着いたのであります。
その結論に至るまでに数年を要し、何代目かの團長は一念発起し、各校の応援団を表敬訪問し学ばせてもらおうという旅に出たのであります。関東には全日本学生応援団連盟の有力校や東京六大学など強豪が犇めき合っておりますので、教材には事欠きません。
しかし広大な気宇を持った團長氏は、これで満足する事なく関西にまで遠征して来たのであります。そしておそらく訪問する前日まで校名すら知らなかったであろう我が團にも訪ねて来られました。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会