先の60周年記念総会開催にあたりOB会員と連絡を取り合ったり書状を発送する中で、相当数の住所不明或いは既にお亡くなりになっている先輩方がいらっしゃる事を知りました。
日頃から連絡を密にしておれば、少なくとも転居情報を逃す事もなかったでありましょうし、お亡くなりになった先輩方の最期を送る事も出来たでありましょう。今後の大きな課題であります。
中でも昭和57年卒業の二十七代目甲南大學應援團副團長 橋本博先輩が既にお亡くなりになっていた事は衝撃的でありました。
昭和50年代は劇画「嗚呼!花の応援団」が一世を風靡していた時代でありまして、各校共に應援團は勢威がございました。我が團でもハードな團員が多かった時代でありましが、その中、異色の存在が橋本副團長でありました。
180cmを超すスラリとした体型に水も滴る色男であり、且つ後輩には極めて優しい人物でありまして、團員はおろか一般学生の友人までもが「何故あいつが應援團なんかに入ったんやろう??」と疑問に思う程であったと言われております。
後年、外食産業の会社に身を置いていた橋本副團長は、会社が新たに甲南大学の近所にオープンさせた店舗の店長に任命されました。ちょうど学園祭シーズン前でしたので、我が校の学園祭実行委員会を始め各部が協賛や広告の依頼に殺到する羽目になりました。
無論、我が團も機関誌への広告掲載のお願いに伺った訳ですが、情報収集不足の為、店長が我が團のOBと露知らず、いつもの調子の押しの一手の強引な営業を行ったのであります。その折、橋本副團長はOBと名乗る事もなく、ただ黙って話を聞き、最も値が張る最大スペースの広告を掲載して下さったのであります。
かつてあるOBの葬儀の席で「良い先輩ほど先に逝ってしまいはるなあ…」と仰っていた方がいらっしゃいましたが、その言葉を思い出しました。
橋本博副團長の御冥福をお祈り申し上げます。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会慶弔委員会