第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【7】
應援團員が最も脂が乗っているのは3回生の時であると指摘される事があります。無論、個人差はありますが、確かに一理ありまして、3回生は日常は1、2回生の指導を行う立場でありますが、最上級生である4回生がいる以上、毎日、練習に参加致しますし、舞台や応援会場ではリーダーに立ったり團旗を持ったり太鼓を叩いたりするケースも増えて参ります。
無論、その代の人数編成や顔触れによって一概にそうとは申せませんが、次代への布石として3回生に任せる部分が多く出て来る事には変わりありません。それだけ幹部にとっては次代の体制作りが重要な役割であると言え、自身の研鑽については1~3回生時代に比し、トーンダウンせざるを得ません。
その3回生時代の森下副團長は尚、平凡なリーダー部3回生であったと言えます。乱舞1題と演武2題を任せられ、11月の「乱舞と集い」ではそれらを可もなく不可もなく演じ切ります。しかしこの本番に向けての練習の中で氏の中で何かが変わり始めました。
35代目の折よりリーダー練習の中で映像での録画を取り入れ、舞台本番は勿論の事、練習の模様を録画しておき後でチェックする訳であります。故に我が團では35代目以降に関しては毎年の「乱舞の集い」のビデオテープが存在する様になりました。
自らの型を客観的に観察し、修正する事が容易たらしめる、という事が主な狙いでありましたが、それ以上に録画するという行為は型の伝承という点で大いに役立ちました。平成2年まで吹奏楽部を持たない我が團では型は勿論の事、歌も口伝でありましたので、年々、変形の傾向が顕著でありました。36代目の時代には過去の映像が残っていないか手を尽くして探し、近い代ではありますが32代目の「乱舞の集い」の模様のVTRの入手に成功いたします。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会