第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【3】
入りたくて入った訳ではない應援團生活の中、森下副團長はどちらと言えば問題児的な扱いでありましたので、躾は人一倍、厳しかったのであります。痩身で運動神経も良く基礎体力はあった方でありましたので、練習では狙い撃ちに遭っておりました。
彼は生来の暢気な性格と類稀な打たれ強さを兼ね備えておりましいて、明日はもう来ないかもしれない、と周囲が思う様な事態がありましても、翌日はケロッとした顔をして團室にやって参りました。
そんな彼の特性を見込んで2回生になりますとリーダー部の推挙され、リーダー部員になり、乱舞「茅渟の舞」とタコ踊りこと「数え歌」を任されるに至ります。これには多分に戦略的な部分が含まれておりまして、増加傾向に転じたとは言えまだまだ人数が少ない中、演目が消滅せぬ様、乱舞などは毎年、昨年の舞台で行った演目とは異なるものを伝承する様にしていたのであります。
また森下副團長もこの時期は特に演目に対するこだわりもなく、指示されたまま伝承を受け、無難に演じたに過ぎませんでした。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会