下級生時代はそれぞれに特徴があるリーダー部と親衛隊でありますが、その特性から考えますと、團長は親衛隊出身ばかりかと思われがちでありますが、一概にそうは申せません。
我が團では親衛隊の設立が昭和38年でありますが、リーダー部はいつから存在しているのか判然としておりません。ただ山下正和初代團長
が初代甲南大學應援團を興した際の回状で、最高幹部の中に子師仁リーダー部長
の名が確認出来ますので、リーダー部長という役職が初代から存在していた事は間違いありません。
リーダー部長は後世ではリーダー部というセクションの長という文字通りの存在でありましたが、創團の頃は事情が異なる様であります。
我が校に限らず、当時は自校のチームが出場する試合、競技会等に参加、応援する事はその大学の学生の当然の責務であるという風潮がございました。
伝統ある他校では大東亜戦争以前より、競技場に押し寄せる大勢の学生の統制を取り、組織的な応援体制を確立させておりました。そのリード役が應援團でございまして、文字通りリーダーだったのでございます。そういう意味では今日の應援團リーダー部という表現は、その本来の役割を表している言えましょう。
よって発足当初のリーダーという言葉は広義におけるものでありまして、後年の意味合いとはニュアンスを異にすると思われます。
少々、脱線しましたが、我が應援團では昭和50年までリーダー部は親衛隊を構成する一セクションでありましたが、直系に昇格し、2部体制になったのであります。
2部体制になった後、28代27人の團長が誕生しましたが、出身母体別に見れば、親衛隊出身18人、リーダー部出身9名となっておりまして、意外にリーダー部出身の團長も多いのでございます。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会